山崎豊子の青春

【日記】   この暑さの中ということもあり、 急に話題が変わるが…



〜見よ、東海の空明けて……
我々はこういう歌を体を張って歌っていた世代ではない。が、何かの折に、昔の懐かしい歌として口ずさんでいた記憶がある。幼児には数年前でも遠い昔に思えるのだ。
8月に入り、今年は安保法制国会もあって、例年以上に太平洋戦争が何だったのか、問われ直している。


そういう訳もあってか、どうしても気になって転記しておきたいことが出てきてしまった。
他人事なのに、なぜ記載したいのか。自分でもはっきり自覚は出来ないが…どんどん忘れられるあの青春への想いが、そこからふっと湧いてくるからか。人間の束の間の命にあって、青春の光と影がどんなに美しく、尊いかを教えてくれるからか…。ということは自分の青春にも類推させるものがある?
雰囲気を壊すことになるが、その前に前置きが必要だ。


我々は普通、文学作品を読んでいる時間がない(独断だが、そう思い込みたいと理解願う)。特に建築設計などになれば片づけなければならない雑務が山押しだ、という理由と現実から。実は何のことはない。生活に追い詰められているからで、それは業界と国の文化の問題(文化の社会的経済的価値への認識と評価の不足。また職業ギルドの不在か弱体と運動力の劣化)になってくる。次に、言葉で仕事を表現するのは本道ではないはずだとの思いから。いくら文章が上達しても言語感性が鋭くても、そのこと自体はデザインの表現行為とは関係ない(もちろん、思考の形成には必要だが。なお視覚表現と言語表現を別物ながら、芸術表現の一環として進める場合は別。自分の立場はそれとしている)。
だから、きっと面白いのだろうなと思いつつも、文学全集などは横目で眺めながら去っていく。文学作品を大量に読んでいる建築家やID系デザイナーがいるとしたら、個人的には失礼ながら、才能の方を疑うことになる(としよう)。
山崎豊子となると、「凄いなぁ、ぜひ読んでみたい」と思うものの、遅読もあり、読みだしたら大変だとも思ってしまう。恥ずかしいことだが、「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」など、テレビドラマの一遍になった部分しか知らず、後は雑情報しかない。
本当に偉い人だとは思っているが、本人の実態を知っているわけではない。しかし、以下の秘めたる日記を通して、彼女の後の人生がわかるような気がしたのも事実だ。

もう一つ、このところ新国立競技場問題などで、家内が読んでいる週刊誌の記事が気になりだし、時々、貰い受け開げるようになった。そういうところからの思いがけない情報もある、ということ。
その実例がこれから転記したいことだ――当然、原本 (この場合、最近刊行された「山崎豊子スペシャル・ガイドブック」新潮社刊)を読んでいるわけでもない。その紹介記事からである。途中でカットも出来ず長くなってしまった転記(多少の省略を含む)は「週刊新潮・8月6日号:「『山崎豊子スペシャル・ガイドブック』をガイドする」から――。


        *      *      *      *      *


(まもなく三回忌になる、取材魔だった山崎豊子の残された段ボール箱の資料の中から、70年の時を経て1945年1月1日から3月27日までの、たった3ヵ月間の日記が見つかったという。
この年の8月15日が敗戦の日だから、戦時下の思いつめた国民の心理状態もいよいよ破局に向かいつつあった頃だ――)。



21才の山崎豊子さんは、京都女子専門学校(現・京都女子大)を繰り上げ卒業し、大阪の毎日新聞で働いていた。
「研ぎ澄ました(日記の)筆致が一転するのは3月4日……”恋人”というべき彼――N氏が、海軍軍人として戦地へ赴く途上、毎日新聞社を訪れたのだった。
〈こんな日が亦とあろうか。夢ではなかろうか〉
と喜び、1年半ぶりに見る顔、聞く声に心躍らせる。
〈強硬そうな理性でそうした血の躍りを抑制し、冷静な顔を装った。こんなスタイルは私の強さからか、弱さからか?〉
……自宅に招き、ふたりで夕食をすると、思いはやはり膨れ上がる。
〈彼の焚きつくすような激しい眼は到底直視出来ない。たのしい、恐ろしい、しびれを感じて、眼をふせる。それで幸福だ。或人は云う。私たちの恋愛は余りにもプラトニックで幼稚だと云うかもしれない。それもよかろう。私達はこの理想の恋愛形態を地上に現出してみよう〉
一泊したN氏を途中まで送った山崎さんは、”愛情の真実”を訴えた。……帰途、山崎さんは思う。
〈こんなにも愛し合っている二人が、自由にめぐまれたる機会に於てでも尚、抱擁も一度の口づけさえも求め合わず、そのまま別れてしまった。何と云ううつくしい夢のような恋だろうか〉
……淋しさにさいなまされる山崎さんに、朗報が届く。3月10日、N氏が隊長らを伴って再訪するという……
その夜、どんちゃん騒ぎの宴席を、ふたりは抜け出す。山崎さんは泣いた。自分の心を信じてもらいたい。その気持ちが、通じた。
〈遂に遂に私の愛情を信じてくれた。誇張でもなんでもない、俺の胸にある生涯の唯一の女はいとはん、君だ。(略)私はもう全身で泣いた。嬉しかった〉
そして――。
〈愛するが故になるべく汚すまいとするその神聖な祈るような抱擁。左手に感じた彼の美しい唇は一生忘れられない。(略)彼の温い息吹が妙に頭について、寝苦しい〉
3月11日、別れの日。
……素っ気なくこのまま別れたくない。
〈私は最後の勇気と我儘を出して彼の胸にもたれてしまった。彼の激しい腕の力と心臓の鼓動。(略)〉
翌日、山崎さんは空虚さに包まれる。
〈彼の胸、もう一度しっかり抱かれてみたい。(略)彼にもしもの事があったら、私はどうすればいいのだ(略)〉
身悶えするような思いはついに、祈りとなる。
〈神仏、我を愛し慈悲を垂れ給うならば、この家のあの室で初めの姿と同じ姿で彼の胸に抱かるるの幸を私に与え給え。かそけき切なる我が心願、何卒賦与され給え〉
乙女の熱情と祈り。だがこれは、すぐに踏みにじられる。 3月13日深夜、大阪大空襲。 ”この家”――生家の昆布店「小倉屋山本」が灰燼に帰してしまったのだ。そしてN氏の消息を知るよすがも、今はない……」









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