「人々を排除しない参加型デザインへ!」

なかなかいいタイトルだ。
「人々を排除しない参加型デザインへ!」
このタイトルの魅力にひかれて、思いつきで途中から聴取。
何しろモネ展をやっている上野の都美術館なので、すぐには着かない。
惹かれた理由は、過日の我々の「ターニング・ポイントに差しかかったデザイン・建築・環境を語り合おう」のサブタイトルにもなりそうな主題だったからだ。


話しの内容は、もっともなこと。少なくとも僕が危惧していることと同じようなことを話したのが松下計氏(東京芸大デザイン科教授)。そのもっと抽象的な言い方をしたのが何と日比野克彦氏(11月18日「黙っている核になるクリエイターたち」参照)。主役はジュリア・カセムという見た目の若いお母さんで(ついでに娘さんが芸大の博士課程に在籍していてここに登壇しているので)、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教えてきたらしい。これで判り始めるように、この企画は東京都美術館東京芸大が組んでいる企画の一環で、都美術館の学芸員稲庭彩和子さんがまとめている。


途中からだが、ジュリアさんがスライドで「この映像のどこに問題があるか」と会場に問いかけているのが面白かった。あらゆる都市の標識や設備が「あらゆる人のものになっていない」という例で、小人の身障者には位置が高すぎて視線と手が届かない販売機、あるいは同じく普通の人にも高すぎるバス標識(すべて外国の事例)など。日本では身近な例で、珈琲マシーンのどこにカネを入れて、どこを押すとホットが出て、どこを押すとラージ(大カップ)になるかなどの標識が小さく判りにくいために、店が大きな手書きメモを張っている例などを見せていた。
確かにこれらも「人々を排除しない参加型デザインへ!」の具体例である。
娘のライラ・カセムさんは身障者なので、親子とも、「人を排除しない」という意識の中に身障者問題が色濃く反映していることも確かである。ただ我々の議論では、そこまで行かなかった。


松下氏が「Tシェア」と言ったのはよかった。元は外国の学者の発想らしいが、Tの縦は「専門性」の深みを現し、横は「繋がり」の拡大を意味する。それぞれが互いを認めシェアしていかないと、これからのデザインも社会も成り立たないだろうということだ。芸大は東大とこれまでよくコラボをしてきたが、東大マターでは芸大はお手伝いで口出しはしないでねと言われ、芸大問題では東大がサポート役でしかない。これではシェアではないと。実際、コラボはうまくいっていないと。お互いが「ちょっと視線を下げて付き合う努力が必要だ」という。我々の討論でも「専門性」は大きな話題になっていたから、この辺は共有できる。









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