個人の意識できる範囲は限られている

【日記】


昨日の本記事で述べた過去記録検索で、ついでに近辺の2012年10月12日の記事に、「自著の『はじめに』の試み」というのを発見した。3年半ほど前のことだ。
ちょうど現在進行中の件と重なるので、何を書いているんだろうと読んでみる。
ちょっと冗漫だがいま、思っていることとそんなに変わらなかった。
個人の意識できる範囲は限られているな、という思いを新たにした。


言い方を変えてみると、自分はこんなことで、これこそ俺が握っている核だ、と人生を生きてきた。これがもし無意味だったら生きることにどんな意味があるのだろう? ぐどぐど考えていないで、その分、うまいものを食べることや、他の楽しいことを考えてきたほうがよほど後悔が少なくて済むのではなかったか? という予感がよぎる。
人間が、この世に生きる意味を勝手に創り出していることを思わずにはいられない。


じゃあ、行動はどうだ?
日記なら、たまには昨日、今日やったことの記録でもいいか。
昨日は秋山嬢がイラストレーターで画像のレイアウト修正をしてくれたのをサポート。今日はJIDAに立ち寄って、ちらと事務局勤務の長い永田さんと6月18日(土)2時ころからの僕のトーク(ブロック総会後のイベント)の話していて、「もう一度、理事長やるか!」などと勝手なことを言ってAXISビルを出てきたら、10分程度なのに「駐車違反シール」を張られていた。
途中の銀行で事務所経費の支払いを済ませ、目黒駅前のカメラのキタムラでプリント依頼。その間にマックで昼食(珍しい)。帰ってからイヨベ工芸社の河本さんを待つ(記録を頼りに調べたらちょうど10年ぶり)。自宅の自分のデザインした食卓セットの再塗装依頼のため。河本さんは変わっていない、一層おやじ風にはなったが。その後、NPO日本デザイン協会の総会案内を準備して郵便局に。
行動記録を中心に記述してみると、今度は、こんな人生でいいの? という気もしてくる。
「人生は徒労だ」とは亡くなった岳父の口癖だったが、本当によくわかる。