論理思考と感性思考

いま、文字原稿を準備していて、一方で画像の準備をしている。
これがとても難しい、というか手間が掛かることが、ますます判ってきた。


右脳と左脳の役割分担とは言うが、案外、これを言っている人は左脳中心で展開しているのではないだろうか。画像の選択となると本業というのだろうか、これはこれで大変な気苦労が生じている。


そうして改めて世間をみると、ハード機材や性能の大幅アップがあってか、最近のメディア画像には感心するものが増えている。動画もかなりいいものがある。画報的な雑誌の画像も広告も、かなりいい。
いまにして思えば、映像系の編集が仕事の、例えばテレビ局などでの業務にはどこかで、しばらく首を突っ込んでいればよかったな、という気持ちもある。もっともそれだけで忙しすぎて、他の分野の視野を広げるなんてとてもできそうにないが。それに「まだやるのかよ」という嘲笑も聞こえてきそうだし(この人間を知ってい人ならば)。
そうしてみると、画像を提供している人はあまり語らない、という気がするのももっともという感じだ。チャットはするだろうし、一言説明もする。どこへ行った、何を食べたなどは書いても、「論考」になるような記述はできない。
後で検索しておきたいが、このブログでも一時、画像アップへの問題意識で、ごとごと書いていたことがあった。いわく、同時にいいものをアップロードする余裕はない、ということだったが、いまもってその考えから抜けられないでいる。


検索結果: 2012年6月11日の 「画像がないのはなぜ?」 にその思いが綴られている。





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