本の帯

編集議論散見


本のタイトル決定とは本当に難しいものだ。
ここには、「帯の文案」という問題もある。


今日、編集者Sさんと最終に近い打ち合わせをしていて、いろいろの想いが交錯した。
特に「帯の文面」が争点になった。
読者を十分意識している編集者は、僕の気難しい文面を意識してか、「どちらかに振ってしまおう」という気になっているらしいと感じられ、その辺の議論から落としどころの模索が続いた。
「どちらかに振ってしまおう」と受け取ったのは当方都合で、Sさんはそんなことを意識するのでなく、経験的に直感で提案しているのだろうが。
どういうことかと言うと、「この国のままでは駄目だ。警鐘を鳴らす!」というような極端な言葉で、「ぶっかけろ!」と言わんばかりの文面提案をしてきたのだが、これでは強すぎるというか、こちらもこれほどの気迫で論旨を展開したのではないとの気持ちから、中和案を提案すると、今度は、「この国にはいいものがある。それを知るヒントを教えます!」でどうだろう?となった。もちろん、この文面通りの「帯文章」ではないが。
「え!? そんなにまで媚びるような言い方もいやだなあ」と渋りながら、アシスタントも加えて、ああだこうだとやっているうちに、何とか「これで行くか」というところにたどり着いたが、未だに「この帯広告は自分の本心の言葉なのだろうか」という印象がぬぐえない。
その気持ちも伝えたが、アシスタントの若い彼女も「やさしく受け入れやすくなった」と言うに及んで決定に向かったのである。


「帯文章」は著者の本音を紹介するものとばかり思っていたが、本屋で目にする読者を最初に引き付けるキャッチ・コピーなので、編集者にしてみれば、中身なんて関係ないと言わんばかりの提案をしてくることがよく判った。
判っていたつもりでも、現場となるとずいぶん違うんだなあ。