「日本の家」展を見て (その2)

――歴史過程からの分析と論理による「日本の住宅」の分類では済まないものがある――


まず、今、どうなっているんだろう?


最初に、本日のブログ記事はまだ定まっていないことをご了解願いたい。
10月8日に書いた――「日本の家」展を見て――に、「以下後述」とした続きの意見を述べようとしているのだが、同展カタログの解説記事がまだ読み込めていない。それでも何か記録し始めたい衝動にかられているためである。
その意味で以下に書き始めることは、いわば原稿草案である。追加されたり修正されたり、部分消去される可能性もある(引き続き「以下後述」か「現在仮記述」となる)ことを承知願いたい。


最初に言っておきたいことは、築何十年という住宅がほとんどなのだから、入居時とその後の住み手の感想や、第三者的な建築家の訪問観察、住宅記録(改修、増築、解体、所有者住退去と職業、家族構成など)、出来れば設計者本人の独白を付けるべきだったのではないか、ということだ。
掲載住宅の歴史的意味・経過には熱心な解説があるが、住宅は本来住んでみて、しかも長らく体験しでみて初めてその真価が証明される。どんなに論理的、社会的であろうと住む人の快適感を考えると、それを保証するだけの空間が付いていなければ、全く設計者都合の実験住宅になりかねない。
本論(つまり私)の立場は、歴史性があれば住宅としての価値を認める、というだけのものではない。
写真だけ見ていると、ほとんどの住宅が「今、どうなっているんだろう?」という強い関心を抱かざるを得ない。写真と模型だけ見て議論していること自体が問題だが、当面これ以上のアクセス方法がない。それだけに現状報告が欲しいのだ。 でも「実験失敗住宅」と判ったからといって馬鹿にする気はない。ここから現在に至る日本の建築設計界事情の深淵を読み取れれば、と思うのだ。15:00/310254


その上で、(カタログにもまとめられた編集上の)分類のことである。
14項目にも分けているために、かなり無理をしているようにも見える。家は複合体である。何かのキーワードに引っ掛かるとしても、他の機能や見せ所との比率の問題ということもあり、判断する人によっては他のキーワードに優位を与えるかもしれない。それにしても、よくこんなに細かく分類したものだと思う。