「素」や「多様」をどう話したのか

引き続きで、暑苦しい話ではあるが、まとめるために表記しておきたい。


前の日の記録にあるように、「素なることと多様な相」というテーマでのJIA港地域会のセミナーが開催された。
その時の自分の話を港地域会ホームページ用にまとめたのが以下の文章である。

   


「求められる理解のレベル」


このセミナーは、出来るだけ一般の方にも建築に親しんで頂こうという配慮があります。
その割には特に今回は、当の建築家にとっても難しいテーマで、ここにすでに「素なること」をテーマに選んだ理由が問われています。
つまり、「なぜ建築家はこのような問題を取り上げるのだろう?」ということです。




この場合、建築家に親しみを抱いている人なら、「建築を創っている空間の原点のことかな」 (A: 例えば「体感静態的」思考の方向) と、思い至ることも多いでしょうが、そうでもない人には、「建築家を成り立たせている社会の仕組みに関わることかな」 (B: 例えば「論理動態的」方向) と、考える人もいるでしょう。(見にくいが、スライドにした4画面――左上、左下、右上、右下という順で説明)


「多様な相」についても同じで、スライドではAもBも一緒にして5つくらいの場合を考えています(スライド参照)。この場合でも、現代の社会の激変を考慮すると、Bへの視点も含まれているということの理解が重要なのです。
(後記:スライドがぼけているので、この5項目を再列記します)。
1:現代自体が「多様な相」化
2:「様相」の概念が建築を多様化
3:個人を形成する多様な創造力
4:事後の物語が設計過程を活性化
5:情報共有/偏向・多値化・AI化


建築は、技術や法規、コストや素材に留まらず、人文社会、歴史、地域性、哲学、芸術にも関わるため、普通には個人の能力では全体をカバー出来ません。手が届かない分野を知って、そこに「出来る人」の知恵と行動に任せる心のゆとりが必要になります。
これは一般の方のためだけでなく、建築家自身への気づきの確認でもあり、注意でもあるのです。
(港地域会MASセミナー「素なることと多様な相」20180728)
                             






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