自分の何かが変わりつつある

ここしばらく、ブログを書けなかった。

理由は多様。家内の右大腿骨骨折治療、ついで左ひざの治療と続き、助けることで

自分の時間が無かった。それを受けてか、自分の体調が不調。3月頃にあっという間に体重が5キロほど減。前立腺ガン治療も順調に終わり、胃腸も薬で十分対応可能、血液検査もほとんど異常なしとなると、何でこれほど体力が落ちたのか分からない。

想定出来るのは2つ。一つはストレス。80になって急にガタが来るとは想定外。やりかけの仕事、公的役事などが片付いていない。

もう一つは、男の更年期障害。テストステロン減少が薬の処理で深まったのではないかという疑いだ。実は、「更年期障害とは50代のものだ」ということで、笑い話にもなっているが。

いずれにしても、だいたい5年ごとのある年で急に体力が落ちるとは聞いていたが、実際に来た。今は、小休止を兼ねて、次の5年への対応を考える時だ。

 

日本の敗退

先週だか(2022/1/16か)の寺島実郎のオンライン・セミナーでの、戦後2年ほどのうちに米軍が決定したらしい、「日本軍の敗退理由」の話は興味深かった。5項目を記憶を頼りに。

1・国力の無視

2・エネルギー源への軽視

3・陸海空の不統一

4・作戦第一主義

5・成功体験

正確ではないかもしれないが、的確に日本軍の欠点、もっと言えば日本人の欠点を突いている。

ここからの議論は深まるが、当面、記録メモとして。

 

何としても主役は、山本五十六だろう。なんと3回ほどもアメリカに行っているようだ。しかも最後の時は当然開戦を意識していたらしく、あちこち見て回っていて、石油の実態を把握するためだろう、アリゾナの方にも行っていたようだ。

それなのに開戦を止められなかった。

自分では「この戦いは負ける」と判っていたのに、戦争へと駆り立てる軍部やメディア、それを盛り上げる国民感情に逆らえなかったということだろうが、その辺が軍人だからだろうか。自国の限界を国民に向かって説明せず、一億玉砕でもそれはそれで美しいなどと、一瞬でも悲劇の美のようなものまで思っていたとしたら、まさに感情に流される国民性を代弁している。

 

昨夜(2022/1/23)、山本五十六に関するYV特集があり多くのことが判った気になった。やはり、「忖度」の度量がおおきかったことと、軍人である以上上級の命令には背けなかったということだろう。

第2回ロンドン軍縮会議は、一か月以上も続いたようだが、途中でイギリス外相が山本に理解を示し、山本はそれを受けて妥協案を作成(軍艦のトン数割合にする案)、本国に打電したが受け入れられなかった、という経過があったようだ。

1940年の時点では、米5,英5,日3の配艦割合を受け入れる国民の機運は多かったようだが、1946年のこの時点では、大きく軍縮会議撤退に傾いていたという。その背後には、北一輝などの極右勢力と通じ、マスコミを使って排米英に向かわせる海軍の運動があったという。驚くべき思い上がり、それに追随する国民の無知さ加減に改めて気が滅入る。

というのも、最近の中国の「自国第一」主義的な動きは、この当時の日本やドイツと何か妙に似た所が出てきているからだ。本日の日経(1/24)ではそのことを、マイケル・ベックリー(米、タフツ大准教授:祖父母が日本出身)、エマニュエル・トッド(仏歴史人口学者)の二人が言っている。

 

高校時代の同僚たちへ

最近、高校時代の同僚たちが、思い立って文集を発刊するとのこと。

表紙と記事を、との依頼があり、ともかくも自分の思いを文面して渡した。

まだ発刊されていないが、私的な事なので、その原稿を先回り公開してしまっても問題はないと思い紹介する。

実は、この前に紹介したオンライン・セミナー「イタリアとは、日本人、クリエイティブ〔アーツ〕コアとは」(日本建築家協会関東甲信越支部住宅部会)とほとんど同じ結論である。

今は、「樫の香」という表紙の絵を進めている。

 

 

神奈川県立小田原高校11期生論文集原稿20211209~1220

 

新しい文化育成を妨害する「深層底流」

明治維新で切り捨てた社会的な文化価値への無評価を問う―

                     大倉冨美雄(建築家・産業デザイナー)

 

外国生活が10年近くにもなると、日本と日本人への見方が大分定まってくる。今の話ではない。一九七〇年代である。当時のミラノでも日本人は少なからず居たが、多くは大手企業の出張社員か、個人芸術家(例えばオペラ歌手を目指していたような声楽家など)だった。意外だったのは出張社員が、日本人同士で固まり、大晦日の「紅白歌合戦」の録画を楽しみにしていることを知った時などだ。外国生活経験とは言っても、その国の核心に触れていこうなどという人材は、実は多くはなかったようだ。その世代が今、八〇才代になっている。

日本人には「忖度」という考えが強く、自分の感情、考えを抑えて、全体の流れに逆らわないようにするという気性がある。言葉では理解していても、その実態はなかなか自分のものになっていない。それが悪く出たのが、太平洋戦争への流れだろう。その「忖度」はどこから来たのか。それがますます気になりだしたのがニューヨーク、ミラノでの生活だった。

小田高11期生の僕は昭和16年1月19日の生れで、奇しくも太平洋戦争の開戦の年である。80年目(2021)の、今年の12月8日のテレビは開戦の意味を問う特別番組が目立った。確かに、大きな視点で決断できず、ずぶずぶと戦争に駆り立てられたあの時代の世界の読み方と対応が、政治家やメディアのみならず、当然その下にいた国民にも出来ず、ある意味でのだらしなさが改めて問われているのが今なのだろう。それにしては明治維新は結果的にだが凄いことだったが、これも極端に走ってのことだ。まだ、問い直しすることが多々あるのは思った以上で、いろいろ掘り下げが進んでいるようだ。国として戦火にまみれなかったこの七十年余りのおかげもあり、それなりに日本社会が成熟したような気分になり、一方、コロナ禍によるパンデミックが時代の転換を急進させているような空気にもなって、比較的に国民レベルで、ロング視野の近現代日本史を振り返るタイミングが増えていると思う。

これまでの人生からこの時期に実感したのが、テレビなどでもよく取り上げられるようになった、「明治維新とは何だったのか」という問いへの答えである。特に僕のように、出来上がった体制に逆らいながら振り回されてきた人間には、問題の深層が透けて見えてきたような印象が強い。薩長明治維新を成功させたという、これまでの伝説と違い、「徳川幕府は悪かったのか」という問いや、徳川慶喜が勝利していたら、日本はもっと欧米から評価される国になっていたかも知れない、というIFの話もそれなりに信憑性を感じた。日本人は江戸文化を切り捨てた時、地域文化の独自性も見失い、欧米文化を真似し始め、国民は天皇依存となり、ますます主体性を失い精神的に放浪する民となった。民主主義も国民が勝ち取ったものでなく貰ったものだ、という感覚が実感されたのだ。もちろん江戸時代の硬直した身分制度がもたらした、しがらみという反面も承知の上である。これらの反映は文化と言う形で表面化する。今、百五十年を経て、改めて江戸文化で失った精神性は何かが問われている、と感じている。

実感の内容をどう意識しているか、から先に言おう。この百五十年間、国力増強を柱に欧米の科学技術、経済体制、表面的に法体制を、それでも真剣に真似てきたが、それは江戸時代まで続いてきた良いものを見捨てないで組み込んでいくというものではなかった、との概要は言った。それを僕はこの国に潜む「深層底流」と言っている。それが今次大戦の反省と、今のAI時代化への波、更には行き詰った資本主義体制への問いかけで益々判りにくくなっている。これは「表層潮流」と言えるだろう。こういう流れの中に現在がある。

具体的にどういうことかを自分の職業観の例で言うと、ある法律(例えば「建築基準法」)は戦後作られたが、公布時の社会状況からの上乗せを続けて現在に至っている。法規は細部に渡り、普通の知識ではほとんど理解できない状態になり、それを受けて国交省や予備校が強みを発揮している。事業的にも職業的にも、法規解釈の専門家を必要とする事態である。その背景には安全・安心優先と言う玉条があり、それを御旗に感性的な要素は全部切っている。つまり、数値をベースとした許可と規制以外の何物でもない。それで何が悪い?と思われるようなら、それがすでに「深層底流」と「表層潮流」に毒されていると言いたいのだ。

言い方を変えると、経験を深めた真の「専門家」は、ある事象を個別に判断するのでなく、トータルに、しかも感性的価値(環境への適合性、居住性、審美性など)を含め、全体として考慮し判断するのだが、そういう価値判断は規制条件に合わない限り、絶対と言うほど許されていない。そこには、専門家と称される者にありがちな狭小さも問われてはいるが、これも近代化の弊害の表れである。ほとんどの規制が数値化による評価基準になっているので、例え一ミリでも規格を越えればアウトになるのは工業製品と同じだが、これが住環境にも応用されているのだ。もちろん数値化を悪いと言っている訳ではない。こういう背景には規制化により、民意を主体にするのでなく、結果的に官僚システムを保全する体制の維持に繋がるものがある。言い換えると、明治からの上意下達の官僚統制の流れがここにしっかりと維持されている。統合力のある専門家にしか深い問題の表出が出来ないのに、その専門家が何も言えない状況に追い込まれているのだ。

話が難しくなりすぎたようだ。これは東大合格でも、「百番までは良く、百一番は駄目」の意味は何かと同じ、と取ってみたらどうだろう。よく、日本はハードに満足しソフトの育成を怠ったと言われるが、この場合のソフトも、ハードを活かすためのソフトという認識が強く、ソフトの柱となるヒト(人)の内面問題という意識は高くないように思う。そもそもヒトをハードとしてみれば、生きる条件や思考能力などの設定は可能だろうが、ソフトと見た場合、ヒトである「資格」を決定できる条件などは簡単には設定できないのでは。資格を取れば、その人はその分野の適任と言うことになるのか。このことは我々が「資格」を意識するとき、多くの場合ハードとしての人間を設定していることを意味しているし、文化力への認識も評価もないからこそ、ということが判る。

一見、愚直な問題意識と見られる可能性があるが、ここに見えるのは「ある認識レベルでの文化性の無評価」という問題である。単純には文化的な評価(文化力)は数値で決められない場合が多いからだが、思い出してみよう、人生に決定的な影響を与えたあの高校時代を。上位大学への入学だけを最優先に考え、結果的に理知で繋がる思考回路だけで繋がる解答か、まったくの暗記による点数稼ぎばかりを考えては来なかったか。その結果、これらによって評価されるもの以外への価値認定は大きく無視されるか、趣味の問題とされてきた。このことは明治維新により、それまでの思考回路を封じ込め、上のめりに教え込まれた外付けの知識を優遇することに合致していた。官民が互いに協力して文化力を無視してきたのだ。それをもし禍根と言うなら、その証は日本の近代化にある。

僕がこの五、六十年余、戦ってきたのはこの問題で、日本の社会構造、産業構造の中ではほとんど真剣に取り上げられて来なかった。もちろん、知財権的な保護や、伝統工芸や芸能の保護、営業・売上戦略としての文化的価値評価(これがデザインと言われてきた)はあったが、それは表層であり、「深層底流」への理解ではなかった。こうして、例えば今の日本の街並みが、どこも同じで美しくもなく、魅力のないものになった実情の背景を知ることになるのである。

これほどこのことは、文化的な事象の表現者ならの場合、クリエイティブな「社会的に役立つと思う自分の才能」を生かすのが面倒なら、クラフト作家になるとか、漫画家になるとか、売れる絵でも描いている方がいいと思うのが現実だ、という考えと繋がっている。一方、やりたくてもすでに現代アートは解体していて、どうでも解釈出来、目立つことが売れることに繋がるなら、人目を驚かせることを考える方がいいという流れになっている。どの場合も社会性は無視しているし、資本主義体制に牛耳られている。結果としてそれは、美的価値の行き詰まりを現実社会の中で活かそうとした二十世紀初頭からの先進的芸術家の理念が、本質的には社会に受け入れられていないことを意味している。それを先進国の中で、いわば無意識に最強度に進めてきたのが日本である。その背後に明治維新で切り捨てた文化的価値への無反省がある、との結論である。今は何となくそのことに気づき始めた社会人もいて、それは「個人の多面的な才能を経営に反映させよう」というような言い方になっているが、日本の「深層底流」への理解にまで至っているのかどうかは疑わしい。

 

補記:余談だが、「でも、言うだけでなく何かやっているのか?」と問われればやっている。「クリエイティブ〔アーツ〕コア」という自著で、このことを視認化した(合同出版)。(公社)日本建築家協会(関東甲信越支部住宅部会)オンライン・セミナーで「イタリアとは…」を開催(youtubeで配信中)。理事長としてのNPO日本デザイン協会では、「デザイン」についての核となる指針をまとめつつある。また「建築基準法」の上を行く「建築基本法」(仮)の設立を求め、言い始めの神田順東大名誉教授の考えを応援し、一緒にセミナーなどを開いてきた。しかし言葉上での理解は別として、国会議員らの深層認識も低く、この先が見えていない。これはあと百年もかかる戦いなのか。

もう一つだけ補足。「美の基準」などを設けて「まちづくり条例」に反映したのが1990~2004まで真鶴町長で、同学年だった三木邦之君だ。彼の事業の成果は本テーマにも沿っていて、忘れてはならないことだ。そう言えば加藤市長時代に、僕も小田原市の街づくりについて進言、会議も開いて頂いている。市内の木造平屋自宅を改修して2階とし、ギャラリーを設けようとしたこともあった。

久し振りの記述・オンラインセミナー記録

ここしばらくブログを書くことを忘れていた。というより義務感が軽薄になったからかも知れない。

どうりで、いろいろな人に長いメールを送ったりできるのが不思議だった。

 

本年(2021)10月12日に(公社)日本建築家協会(JIA)住宅部会(関東甲信越支部)の招きで、オンライン・セミナーを開催した、その記録がYou Tube に掲載されたので、見て頂きたい。JIAのホーム・ページからアクセスできる。

タイトルは「イタリアとは、日本人、クリエイティブ〔アーツ〕コアとは」というもので、在伊10年近いミラノでの生活情報を肴に、日本に内在する問題を語ろうというもの。

オンライン・セミナーに慣れていないこともあって、「聞き取りにくい」というコメントが多かったが、マイクだけの問題でなく、活舌の能力不足もあるだろう。

終了後のアンケートに答えた人の多くは「良かった」と言ってくれたが、一人だけ「良くなかった」とし、その理由を色々述べてくれた。

上述のように、ブログ記述負担から逃げていたので、この人に返信する余裕があった。セミナーの全体的な印象理解にもサポート役となると思い、以下に匿名で転載します。

 

 N様

アンケート返信を受けて:

  

「イタリアとは・日本人・クリエイティブ〔アーツ〕コアとは」のオンライン・セミナーに参加頂き、またアンケートへの踏み込んだコメントを有難うございました。

セミナーが「あまり良くなかった」とし、その内容を説明されていることを了解しました。

 

「聞き取りにくい」は大勢の方が言っていて、私の活舌の問題もありますが、近々、You Tube にアップするに際に、多少は修正してくれるようです。

 

「言葉使いが独特過ぎて…」は、誠にもっともです。

住宅部会のセミナーとは言え、今回は、話し相手を「建築を理解する人、理解しようとする人、建築を愛する人、優しく建築に迫る人」などに想定するのでなく、その枠を越えて、当節の文化認識の低いメディア人種、産業人、学者、出来れば(一番、文化度が低いと思われるので)政治家などを意識して、社会問題として語りたかったのです。つまり視点を大きく一般社会、産業界に向けていて、その辺に電波を届けたくて使用したつもりの「言葉使い」です。

 その観点から、イタリアの話もあくまでイントロで、「美しい景色や、綺麗なプロダクトを見せよう、美味しい食事の話をしよう」等という気は毛頭なく、自分の作品説明も適当にして、現実の社会風景から日本の問題(そこに含まれる建築家の問題)を引き出したかったのですが、うまく伝わらなかったようですね。

 

 私は、この国の姿について優しみの無い不明確な怒りのようなものを覚えていて、そのことが語りたく、それが結果的に受ける方にとっては、異質な表現と聞えたのかも知れません。本来このような盛り込みテーマは、語り部の能力の問題と共に、短時間で語れるようなものではなく、徐々に温度を高めていくべき内容なのも事実です。例えば最後に、「感性価値創造省」などと言ったのは、「縦割り構造の国政システムを改革する中で、『建築家も国土交通省管轄から外して…』と、いった含みを背景に持っていたのです。

 

 期待が大きかったためか、期待に応じられなかったことをお詫びすると共に、是非、私の主意も理解して頂けるよう祈念しています。

 N様の建築家としての理念は誠に正鵠を突いたもので、共感の至りです。いい仕事をされているので、ますますの発展を祈念しています。

 

20211020                           大倉冨美雄

 

やっと実感したこと「日本人のルーツ」

一昨日だか、話のながれで衝動的に「私は日本人が嫌い」と家内が。

「つい、この間まで『天皇陛下、万歳』と言っていた国民よ。北朝鮮の民と大して変わらないじゃない」と。もっともだ。

この話は、コロナ禍が収まらず、インド型という、より強力な変種が増え始めている中で、聞き覚えでは、参加選手で7万ぐらいか、報道関係や付き添い、国の関係者などだけで15万人とかが外国から来るという、オリンピック・パラリンピック開催の政府の対応が問題になっていることから始まっている。

家内は、感染拡大を危惧し、オリパラはやるべきでないと明確に意識している。

確かに、大きな視点で決断できず、ずぶずぶと戦争に駆り立てられた日本人のだらしなさが、改めて問われているのが今なのだろう。

この話中で思い、実感したのが、最近、テレビなどでもよく取り上げられるようになった「徳川幕府は悪かったのか」という問いから来る日本人の意識構造の流れと、それによって過小評価されるようになった「文化の軽視」問題だ。

薩長明治維新を成功させたという、これまでの伝説と違い、徳川慶喜が勝利していたら、日本はもっと欧米から信頼され、経済的にも世界一になっていたかも知れない、というIFの話もそれなりに信憑性を感じた。

日本人は江戸文化を切り捨てた時、地域文化の独自性も失い、欧米文化を真似し始め、国民が天皇依存となり主体性を失い、精神的に放浪する民となった、という感覚が実感されたのだ。もちろん、江戸時代の硬直した身分制度がもたらしたしがらみという反面も承知の上である(例えば苅部直東大教授意見などを考慮:「たたき上げすごいのか」20201017朝日新聞「耕論」)

今、150年を経て、改めて江戸文化で失ったものは何か、が問われている。

 

やっと実感したこと「日本人のルーツ」

一昨日だか、話のながれで衝動的に「私は日本人が嫌い」と家内が。

「つい、この間まで『天皇陛下、万歳』と言っていた国民よ。北朝鮮の民と大して変わらないじゃない」と。もっともだ。

この話は、コロナ禍が収まらず、インド型という、より強力な変種が増え始めている中で、聞き覚えでは、参加選手で7万ぐらいか、報道関係や付き添い、国の関係者などだけで15万人とかが外国から来るという、オリンピック・パラリンピック開催の政府の対応が問題になっていることから始まっている。

家内は、感染拡大を危惧し、オリパラはやるべきでないと明確に意識している。

確かに、大きな視点で決断できず、ずぶずぶと戦争に駆り立てられた日本人のだらしなさが、改めて問われているのが今なのだろう。

この話中で思い、実感したのが、最近、テレビなどでもよく取り上げられるようになった「徳川幕府は悪かったのか」という問いから来る日本人の意識構造の流れと、それによって過小評価されるようになった「文化の軽視」問題だ。

薩長明治維新を成功させたという、これまでの伝説と違い、徳川慶喜が勝利していたら、日本はもっと欧米から信頼され、経済的にも世界一になっていたかも知れない、というIFの話もそれなりに信憑性を感じた。

日本人は江戸文化を切り捨てた時、地域文化の独自性も失い、欧米文化を真似し始め、国民が天皇依存となり主体性を失い、精神的に放浪する民となった、という感覚が実感されたのだ。もちろん、江戸時代の硬直した身分制度がもたらしたしがらみという反面も承知の上である(例えば苅部直東大教授意見などを考慮:「たたき上げいのかすごいのか」20201017朝日新聞「耕論」)

今、150年を経て、改めて江戸文化で失ったものは何か、が問われている。

オンライン会議の落とし穴

もう誰でも知っている、と言えそうなこと。

今夜の会議で感じたこと。(建築家協会港地域会)

1・リアル会議なら、メインの話題を誰かが話していても、隣と相槌を打ったり、周りの雰囲気を感知したりできるが、それが難しい。つまり二面の進行が出来ない。

2・説明経路が長くなり、抽象性の高い「理念」的な話がしにくい。前もってメールで意見を述べておく必要がある場合も。

3・公的な会議の場なのに、それが自宅であったりするために、家族の反応が影響することがある。