【論】8月4日の記事「設計施工一貫性の否定がもたらしたもの」を受けて
review:2015/03/03
二つの分かれ道
設計と施工が別だから、施工に振り廻されないで済んできた、と僕らは教わって来たし、現在でもほとんどの建築家はそう信じているだろう。
内田先生は何を言おうとしたのだろう。
もともと、僕が日本の設計制度は輸入文化であり、どこかおかしいのではないか、と質問したことが始まりだった。
確かにコルビジュエのところにいた前川國男は、日本人を無給で使うやり方を承知して働いていて、コル自身が施工技術に関与していなかったということのようだ。
当然、日本に帰って来て建築家という職業を公知化し始めたとき、設計と施工は分離したものと考えられたのだ。設計はコンセプトから最終仕上げの想定をし、図面やスケッチにその姿を表現して施工を進めてもらう。
しかし、日本には大工という職能があった。
大工は図面こそ扱いが簡単であったり、無くても工事してしまうようなものだったようだが、敷地に合わせた間取りの設定、あるいは木材の性質や施工方法についての経験を積んだ技術を持ち、社会的に認知された施工技術の持ち主とされていた。つまり設計施工の一元化の体現者であったわけだ。
ここからは不勉強なままの独断になるが、前川らは、帰国後、自分たちを大工の後継者と見ずに、新しい国際的な職業の創設になると考えたらしいことが問題の分岐点の一つを形成したのではないか。
ここにおいて 、設計と施工を分離して考える道が開けたのだろう。
また、丹下らは大学において教職員をしながら設計出来たということで、一般的な意味での職能の持つ必然性(営業しないと収入が無くなるとか、契約の経済的主体性など)について考える必要が無かった、というのも別ルートの施工分離派になることだったのではないか。
もう一つは、聞き取りの誤解がなければ、この考えによって進められた戦後の設計業界や、教育にある、と内田先生は言ったように思う。
(時間をかけて続けます)
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