社会的な影響力を失った悲しさ 2023/01/20に参考追記

社会的な影響力を失った悲しさ。

これは自分のことだけではない。むしろ、今の社会構造が芸術家全体にもたらしている問題である。

例えば歴史の現場からは、だいぶ時間が経ってしまっていても、ギュスターブ・モローが19世紀末に描いた「ユピテルとセメレ」という絵は、神と人間と宗教の観点から、見た者を立ち止まらせてしまっただろう。これが「社会的な影響力」である。

この絵はモロー美術館にあるらしい。縦217㎝、横118㎝だからそれなりの大きさだ。

こういう影響力の現代版は無いのか? 表現手段は無いのか?

1898年。ギュスターブ・モロー死去(72才)。例えばコローは既に20年ほど前に死んでいる。モネが「印象・日の出」を描いたのが1872年だった。街ではエッフェル塔が建設されていた。こんな時代に、モローは良く頑張ってこのような宗教画(象徴主義と言われた)にだけ一生を捧げられたものだ。(個人データから転載)

 

後日参考追記:モローを始め、同じような時代感覚を抱いて生きた同時代の芸術家を纏めた本がある。1998年末に新潮社から発行された、河村錠一郎(当時、一橋大学院教授)の「世紀末美術の楽しみ方」という本である。最終章の最後に「芸術―新たな地平」があるが、意味深い記事である。