クラーナハを見る眼(その2)

「肉欲の誘惑と道徳の戒め」     27日補足:【 】部分   30日補足:本記事の最後に、ヨーゼフ・ボイスについて追記


(この記事は、去る1月15日の当ブログ予告に基づくものです。)


この時代のドイツ絵画には、どうも関心を持てなかったのが長い間の実感だった。
時代にいくらか前後はあるが、デューラーブリューゲルを見てきて、やはり北の空気やその寒さ、それに妙な分析的精神のようなものを感じてしまい、自分の美意識は明るいルネッサンスのイタリアに向いてしまうのだった。
それに、繰り返すが、どう考えても本業には関係ないと思ってきたからでもある。
クラーナハへの低い関心も、このような空気に影響されてきたと言える。ただし、彼の描く(実際は大工房で、ポイント以外は多くの画家の手によって協同作成されたことが判っている)女性たちには、どこか非常に氣になるところがあり、それが何だろうと無意識的に思ってきたのも事実。
あの時代、しかも宗教改革の旗手だったマルティン・ルターとは親友だったというのだから、驚きを持って眺めてしまうのだ。
このたびの国立西洋美術館での「クラーナハ展」は、そういう意味でも、この「何だろう」を解明するためにも絶対見ておかなければならない展覧会だった。

とても難しい話になりそうだが、取りあえず読者が飽きないように(笑)、かなり直感的な印象から入っておこう。そこには当時のキリスト教の実体を知っているような立場ではない自分がいるからでもある。


クラーナハの絵の魅力はそのエロスのアンビバレンツさ(どっち付かず=両面感情、両極性)に有るだろう。伝統的教義からすれば、こんなエロティックでもあるような、ないような(あるかどうかは微妙な個人主観に関わるが)全身ヌード(表情の方には女の持つ魔力を感じさせる)を描くことは考えられない。その教義に基づく寓話を利用して女性たちを描く時に、それでいながら単なる聖母や聖女として描くのでなく、生きて性欲を持つ現実的な1人の女として描こうとしたと読めるのだ。そこには秘められた購買需用があったと思われる。王侯や行政官、豪商などだけでなく、僧侶などの聖職者までもが、聖なる説得や教えのもとに描かれたとする絵を求めただろうが、それらの絵は密かな祈りの場所や寝室などに架けられ、秘めて官能的でありながらそれを警告するような複雑な雰囲気を味わせたと思われるのだ。

画像も見せずに感想を述べるので、ここからは美術評論家学芸員の記事からいくつか紹介するだけにする。ピカソ等は考えを述べてはいないようだが、ポンチ絵のようなバリエーションは生み出していて、実に多くの芸術家、評論家がクラーナハに捕われているのが判る。
なお時代に沿って、絵の少なからずに、画面の上隅などに「銘文」が入っており、この「銘文」の意味を読み込むことで、全体の真意を代表させることが可能となるようで、以下の評論もそれを活かしている。


「このようにエロティックな女性の裸体像を、官能的な欲望の顛末を警告する道徳的な銘文と結び合わせるという矛盾した表現は……つまり、銘文はキリスト教の美徳の教えによって、エロティックな誘惑を戒めているわけだが、この欲望は観者にとっては、その絵の前でのみ、(この等身大の裸体像にある美を)じかに経験可能なものとなるのである。このイメージはしたがって、対立関係にあるもの同士が互いに干渉しあう緊張の場となっている。
すなわち、キリスト教的な思想を刻印された社会が、古代の異教の神々や、それらと結びついた観念世界を再発見するにあたって経験せざるをえなかった葛藤が、そこにはみられるのである。
相互に異なる、道徳的な価値基準と美的な価値基準との均衡を保つ必要から、クラーナハは、古代的な絵画モチーフと、道徳的な警告をもった銘文を組みあわせるという、革新的な表現にたどり着いたのである。」
後に全裸像だけを描いた「ルクレティア」という、年代を経て描き繋がれてきた絵について、
「初期においては、その貴族の出自を示して豪華な衣服をまとった半身像として描かれていたが、1520年代からは徐々に裸体として表現されるようになった。そのさい、本来の歴史的なコンテクストはその意義を失い、裸のルクレティアは中性的な黒の背景の前で純潔の擬人像としての抽象的な性格を獲得している」
   (「肉欲の誘惑と道徳の戒め―クラーナハの裸体像」 エルケ・アンナ・ヴェルナー:キュレーター/美術史家  「クラーナハ展」カタログより:杉山あかね訳:少々文略、変更あり) 


つぎに、ヨーゼフ・ボイス(ドイツの現代美術家:最後に再紹介)の賞賛についての記事。

「1974年6月、スイス、バーゼル美術館のクラーナハ展を訪れたボイスは、その絵画から透かし見える『カオス的原初性』に言及する。いわく『無規定なもの、無秩序なもの、不明瞭なもの(…中略…)、ともかく、今言ったような価値がクラーナハの作品には備わっている』と。たとえば同時代人のデューラーであれば、逆に、明瞭な形態を目指して絵を描くだろう…」
    (「飼い慣らされた非合理―ヨーゼフ・ボイスによるクラーナハ」 福元崇志:国立国際美術館研究員 「クラーナハ展」カタログより:少々文略有り)



以上は一例だが、どちらの文章だけでも前後に相当の記述があり、研究者自身が相当、クラーナハに埋没していることが感じられる。時代背景や近隣の作家との比較など、読めば面白いことをいろいろ感じさせてくれるが、すでにここでの紹介の限界を越えている。【一つだけ追記すれば、この時代、やはりイタリア・ルネッサンスの影響を受けていたのは事実であった。「泉のニンフ」(1537)という作品は、明らかにジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」(1510頃)のイメージ・コピーであり、紹介という形かもしれないが、観る者の欲望を抑制する言葉も添えられて、自然の中における全裸美女を正当化する理由に利用されたと思われる。】
21世紀の裸体画を描くとすれば、クラーナハが教えるものは何か。何を学ぶのか。そう考えて観ると、クラーナハの表現が暗示するものは大きそうだ。



ヨーゼフ・ボイスについて:
ボイス(1921〜1986)はここ20年あまり、とても気になっている、といより、その思想と行動について、ある意味では師とも考えてきた人物だった。著書を読んでも、ミヒャエル・エンデとの対談を読んでも、訳の問題もあるのかもしれないが、もう一つ彼の思想的な核がよくわからない面があるが。
現代美術家であり、彫刻家であり、教育者であり、社会活動家でもる。以下に利便的に、関心部分をウィキペディアからの転記で掲載しておきます。


「また『社会彫刻』という概念を編み出し、彫刻や芸術の概念を「教育」や「社会変革」にまで拡張した。『自由国際大学』開設、『緑の党』結党などに関与し、その社会活動や政治活動はドイツ国内で賛否両論の激しい的となっている。しかしその思想と、『人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである』という言葉は、20世紀後半以降のさまざまな芸術に非常に重要な影響を残している。」






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