ミュシャ―扱いに困る画家

二つの大戦に挟まれた憂愁の画境を想う

●間 追記:4月17日
●2間 追記:4月19日



アルホンス・ミュシャ展を国立新美術館でやっている。何と草間彌生と並んで同じ美術館で。
よく同時開催となったものだ。あまりにも違う世界。
●言って見れば、草間は自己破壊と直感だけに生きてきたが、ミュシャは理性を生かし歴史を意識してきた。草間の生きざまは真似が出来ないが、ミュシャの心理と行動は判ると思えるし、参考になる。だからと言えば身勝手だが、草間の仕事を語る気はない。●
どちらも平日なのにかなりの人出。当然ながら両者の観客はかなり違うようだ。外国人も草間の方がずっと多いようだ。


●2 パリを捨て、ボヘミアに戻ってからのミュシャの仕事は、一度は見ておきたいと思っていたが、とうとうこの年まで、そんな機会は無かった。6m×8mを超える絵画をどう運んだのかは知らないが、チェコ共和国から「スラブ叙事詩」の全作品が国外に出るのは今回が初めてとのこと。日本に居ながら見れるなんて、本当に幸せなことだ。関係者の努力には深く感謝したい。●2

でも、ミュシャの作品と生涯をたいして面白くないという人もいるようだ。
そこには古臭い挿絵画家のような陳腐さを、宗教性や画面の巨大さでカバーして売ろうとする野心家が見え隠れする、という意見などもあるだろう。
ミュシャを評価するには、ミュシャ本人にとどまらず、観る者の文化的背景、時代様相、経験や偏愛など複雑な編み目の交錯から読み取らねばならないと思う。
ここでは、その多くが語られやすい「スラブ叙事詩」というテーマで描かれた作品群を中心に考えてみるが、物語の展開や、その宗教性の価値などを判断の基準にはしていない。


その上で、自分の感じ方はどうか。
ミュシャの仕事は好きである。
かと言って、なぜかと問われても、簡単には答えられない。
そのためにしばし考えた結果、「自分も作家側である」とする観点も含めて、以下のような4項の評価軸を見つけた。 これらが交錯して印象を形成していると思う。それは主題力、体力、ノスタルジー性、空間把握力と視覚表現力、の4つ。
解りやすく整理する余裕がないので、感覚的に単語やフレーズを並べている。


1・主題力
判りやすさと精神性の合一
エロスを含まない精神性(「スラブ叙事詩」作品について)
無力ながら生命と愛を希求する人間存在への願望


2・体力
人はどうして生まれ、どこに死んでいくのかもわからない命を救済するための、物理的表現限界への希求
虚無に抗う体力の勝負


3・ノスタルジー
遥かなるスラブ民族に見るヒューマニズム
女性の表情やレイアウト感覚に見る(パリ時代の仕事を含む)世紀末的耽美性
日本の琳派などにも通ずる平面感覚(特にパリ時代)とレイアウト感覚


4・空間把握力と視覚表現力
建築デザインに通ずる空間への視野と、緻密なグラフィック・デザイン感覚
極まったマニュアックな「絵心」


以上。 どんなものだろうか。 多分、美術評論家なら「体力」などは加えないだろう。







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