突然、虚無に襲われる

国際経済学者などの話を聞いていると、それだけの自信を持って話すには、自分はとても弱いと感ずる。

そうか、そうかと頷いているが、自分が獲得した知識ではない。

では自分はどうすればいいんだ? という時に答えが出ない。

デザインを高次元で理念化しようとして、元気づいてきたが、たかがデザインじゃないか。人間を救うことなんかできない。

自分がアーティストとしては政治・経済に詳しいから、自分がやるしかないなんて思ってきたが、結局、経済の本質を語れるわけではなければ、何も知らないと同じだ。舞い上がっていたかな?

でも人間は次々にしろ、全部死ぬ。その後で、地球も消滅する。

ならば結局、何をやっても同じだ。その日、その日が自分に取って楽しいならばそれでいいじゃないか、というしかない。

一杯のコーヒーをすすることが出来れば・・・。

残された時間は少ない

妙に、時間に生きている自分を感じるこの頃だ。

コロナ・ウイルスゥのせいで、生活習慣が変わったことが大きい。

このところ、寝るのが夜中の2時~3時ということもあり、起きるのが9時から10時。

ポストに来た新聞や書類はまず、アルコールタオルで拭き、数時間、ベランダに干す。こんなことの繰り返しが、どんどん時間を取っているようだ。ゆっくり朝食を取り、ベッド・メイク。それに関連するテレビ情報があるとつい、見てしまう。マスク付きの散歩に行き、洗濯物干しなどを手伝う。気が付くと、もう5時だ。

その結果、こんなことをやっていて時間がとられていいのか、との自責の念に取られる。というのも、この時代を生きているということは凄いことで、自分のやったことを、歴史の流れに合わせて検証し始めてみると、何か大変なことを言い残しそうになっている、という気になるからだ。たとえ、それが誇大妄想でも、もう構わない。

最近のテレビでの堅気の討論には、経済学者、歴史学者、医師、介護関係者、或いは政治家(知事や行政担当者も)、メディア・コメンテーターなどが圧倒的に多く、たまに文化系が出てくると、芸能界、演劇界、映画界、音楽界、或いはスポーツ界といった分野でしかない。

水野誠一さんがFBで、ある学術者たちの場に呼ばれて、文化の大切さを言ったら、「そんなことより、明日の命、職が失われることが問題だ」と蹴られたと掲載。まさしく、このような状況にあって、いらつく自分と重なる。

しかし、経済のグローバリゼーションへの反省から、自国の産業、文化、個人の生活への再視点化は待った無しのはずだし、それを「ソーシャル・ディスタンス」という言葉などで言い現わそうとしているのは明らかだ。

この辺の視点から、数年前から始めていた「個人記録」を見直しており、歴史の大きな転換期における個人史という観点での編集を進めている。そうしてみると、デザイン団体の理事長などとして、過って思いのまま語って来たことなどにも、歴史の流れに繋がってくることもあり、私的でありながら、これが歴史に存在してこなかった、とも言えそうな未踏破の分野ということになれば、これはやらなければならないことが多いと思わずにはいられない。それが、時間がないのに雑務に追われて時間が過ぎていくとの想いになっている、と感じている理由である。

歴史を変えるコロナ禍

凄いことになった。

あらゆる情報は交差しているので説明するまでもない状況。

この新型コロナ・ウイルスは本当に只者ではなさそうだ。

今夜もあっる医師のアドバイスが紹介されていたが、町中が「ペンキ塗り立て」という状況と思った方がよいとのこと。実感しやすい。

終息には山中教授が言うように、1年は優にかかるような気がしてきた。気持ち疲れしないように工夫して生きるしかないが、朝から寝るまで一緒のワイフの忠言が多くてたまらない。有難いことには違いないが。そういえば機能の夕刊のトップタイトルが「コロナ離婚」とか、だった。

本質はそんな姑息な問題ではなく、コロナ禍が終息した後がどうなるかだが、息子夫婦や孫のことまで考えると、やはり身近な生命の維持がまず大切だ。

 

時間は価格・「唯識」という思想

この前の記録に関係するが、面白い記事を2つ見つけた。

同じ週刊誌(週刊新潮2020/3/12号)にあった記事だが、1つは何かと話題の多い百田尚樹の「新相対性理論」(15回目)。

「前に、私たちは有限である『時間』を売って生活している、と書きました。生活するということは、他人の『時間』を買うという行為でもあります」との書き出しで、食べるものを考えても、農家の人たちが自分の時間を使ってこしらえたものを買って生活しているのだ、という仕組みを解説してくれた。そこでヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見した例を挙げ、シルク・ロード経由で高価だった胡椒を安く手に入れるためだった、という。そのために彼らは自らの「時間」を投資した。「それはひとえに投資した時間の何倍もの時間が買えるという目論見があったから」だ、と。

もう一つは、「佐藤優の頂上対決」(第23回)で、興福寺寺務老院の多川俊映師との対談である。佐藤が東京拘置所に拘留されていた時に、何度も読んだという同師の「唯識入門」の内容について、語り合っている。具体的な話は長くなるので省略するが、「人間の心は『八識』という八つの層から生まれてくる」という唯識の話と、佐藤の言う「キリスト教は、現世で永遠に生きるものを嫌います」という処から、東洋思想との根本的な落差の話は、週刊誌にしては(笑)珍しく面白かった。