ザハの急逝によせて

止めさせられた計画案の残滓               ●翌日に、本ブログでの過去記事についてのデータを最後に追記しました。
「新国立競技場旧計画案(設計者) ザハ・ハディッドさん急逝」



どういう訳か、メディアの記事を読むと何か言いたくなってしまう。
今朝の朝日新聞にザハ・ハディッドを悼む記事が載った。
書いたのは磯崎新氏。ザハを擁護しようとして果たせなかったが、そこには、安保法制の国会通過のための隠ぺい工作に使われたのではなか、との見方のあったことを示した。総理大臣がストップをかけるなどとなれば「もはや建築の議論ではなかった」。


ザハの仕事は、これが建築家だと言えるなら(と言うことは、ぜひそう言いたいのだが)、おおいに応援もしたくなる。磯崎氏はそれを知っているが、日本ではその立ち位置がとても難しい状況に追い込まれてきていることまでは言及していない。もっとも、ザハへの哀悼が目的の原稿であるからだろうが。
事実、ザハは自分が追い込まれた状況について「日本の建築家たちが応援してくれない」と嘆いたようだが、このことがそれを証明している。ここでザハを擁護して表に立てば、この国での社会的地位を失うのである。磯崎氏も「ザハは被害者なのではないか」とは言っているが、一番の知友だったはずだが、表だって擁護はしなかったと記憶している。というより、出来なかったのだ。


事実、ザハは被害者である。二度目の公募の時にも参加しようとしたが、施工業者の協力会社が現れなかったので参加できなかった。
この時の公募は、公募とは言いながら、それまでにすでに設計にまで踏み込んでいた大手施工業者(ゼネコン)と組む形でないと応募出来ない仕組みにされたからだ。つまり施工業者の目にかなう建築家だけが選ばれたわけで、当然、知名度が高く、施工業者から見て相性のいい(ある意味で都合のいい)建築家しか参加できなかった。
これでは「公募」とは名ばかりで、日本建築家協会では長らくこれを「設計施工一貫」という視点で、設計内容やコストの客観性や公益性が失れるとして「受け付けられない」としてきたのだが、簡単に崩されてしまったわけだ(但し、磯崎氏はゼネコンや工務店との協調は可能との立場だったようだ)。


こういういきさつを承知の上だろうが、朝日新聞のこの種の記事では唯一、状況の読める大西若人記者との依頼か相談で磯崎氏が書いたのだろう。この結果、記事のタイトルは「感覚的造形 強い個性放つ」として、ザハの美点を浮き彫りにする方に向かった。
これにより、磯崎氏の複雑な意が汲み取られず、デザインで成果を得た有名建築家こそが建築家であるような浅読みする一般の印象を追認し、引き続き、日本社会の現実を知らない建築志望の学生の夢を後押しすることになり、せっかくの機会なのに「ザハの『事件』が教えた建築設計界の暗闇問題」が忘れ去られて仕舞わなければいいが、というのが僕の、いわば深読みなのである。 念のためにもう一度言うと、メディアでの公表だからこそ言いたくなるのである。
ともかくも、単純な意味では好きだったザハの冥福を祈りたい。



【参考】:過去に本ブログで記述した関係記事リストを掲載します。新しい順になっていますが、古いほど上記記事の意味が判り易いかもしれません。
なお、磯崎氏とザハについての個別な記述も見つかりました。これも最後に添付しておきます。


2015-08-01「国立競技場が教えること」

2015-07-31 新国立競技場問題で国会へ

2015-07-24 組織と個人、そこにある認識の差

2015-07-21 国立競技場問題

2015-07-14 思い上がりを止めよ

2015-07-13 職業選択の難しさ

2015-07-06 判り易い「評価の下がった建築家」像

2015-06-26「建築家? 建築士? そしてオリンピック」

以下参考:

2014-12-09 磯崎新の後はいない

2014-12-02 ザハ・ハディッド