社会の活力 失わぬように(To keep our social vitalism)

社会の活力 失わぬように


(To keep our social vitalism)

安田隆二 一橋大教授の意見(日経新聞本日版「インタビュー・領空侵犯」)―



(食品の偽装表示や保険金の未払いなど)「いろいろな問題が起きる中で『規則や原理は厳格に守るべきだ』の声が強まっている。この意見自身は正しいので反論しにくい面はあります。・・・ただ、あまりにも規制で縛られると、高い使命よりも目の前のルールを守ることに主眼が置かれがちになります」

教授は「規制緩和イノベーションが進み、伸び伸びしたルネサンス期を迎えると思っていたら、実態は逆に向かっている印象」と言う。
最近の、日本版SOX法企業改革法)、建築基準法、新会計制度・・・などは規制と規律の順守を強く求め始めている。こうして社会や企業が「規則を守ることを自己目的化している感じすらします」


こう語る安田教授の指摘は意味深い。
サブタイトルに「『規律厳守』だけでいいのか」とある。


さらに、「原理的規律主義で社会のダイナミズムが失われてしまうのではと懸念します。物事には本来、光と陰があるので、単眼だと全体像が見えない」とし、「創造がない社会は退歩します。創造性を育てる闊達な社会とは、国民の志と誇りが高く、それ故におのずと規範が効き、規制の適用にも多少の”のりしろ”がある社会のはずです・・・」と持論を展開する。


編集委員が「聞き手から」で、この持論を「単一思考に流れやすい日本社会で、もっと複眼思考を」との指摘、と言っている通りであろう。ただし、この主張を、「ある意味で思いきった面があり、評価が分かれるだろう」とも言っている。これだけ当たり前のことなのに、明言できないのだ。

こういう言い方になるというか、こういう言い方しか出来ないところにこの考え方の日本における位置が見え隠れする。

経歴を見ると安田教授の前歴は、いわゆるはみ出し留学生のようで、帰国後、外資コンサルティング会社を渡り歩いて来たことが見て取れる。東大を出ていること、現在は一橋大教授ということで日本人のように見えるが、日本人以上に、国際人なのだと推測される。


この記事を敢えて取り上げたのは、11月30日のブログへのある意味での間接的な援護射撃になりそうだと思えたからである。まったく、このような見かたが出来ないとなると、社会の多面性、日本人の国際化は理解出来ないのでは、と思わずにいられない。