見せる建築雑誌 Architectural magazine which is fun. 

BRUTUS CASA のこと


Is it true; seeing and thinking are not the same thing?




このブログをお読みになっている方はどう思われるだろうか。
近隣業界の雑誌編集で感心するのが、実はBRUTUS CASAだということについて。


この雑誌の編集は、徹底して視覚と、俗に言うかっこよさに訴えることを狙っていると見た。
もちろん編集会議に出たわけではないし、残念ながら、どこかですれ違っているかも知れないが、編集長と直接面識があるわけでもない。
それを承知で独断専行判断すれば、マガジンハウス社はAN ANなどの雑誌も出しているようだから、女性、ファッション系の情報は身近に相当自由に使える立場にありそうなことが判る。
予測的なことしか書けないのは、この出版分野、この業界についてほとんど知らないのに口を出すからだ。
いろいろ知っている方の情報が欲しいところ。


編集方針は、公告の取り方に左右される。特に女性誌を見ていて感じるブランドものの掲載料が大きな宛てになり、これを無視出来ないのではないだろうか。
ここで、すまい・インテリアへの関心が高まっていることを受けて、建築もファッションにしてしまったのがこの雑誌だとすれば、当然、メンズ・レディーズの両ファッションまで拡大させ、貴金属、什器小物、電気製品、車、観光地、うまい食事まで取り込んでもおかしくない。こうなると公告対象企業も相当広くなる。これらで視覚的にきれいに見せてくれるものをピックアップして構成してゆく。
一方、建築史や都市・建築の知識、作家個人などに焦点を当て知的関心を喚起させ、毎号記憶に残るような特集をつくり、バックナンバーとしても売って行く、と、こんなところだろうか。この知的関心で、専門家(建築家)の読者も取り込んでしまえることになる。これがまたビジュアル的にうまくて、上手にまとめている。
実際、読むところは少ないが見ていて楽しい。「絶対に読ませるな」とさえ言っていそうな編集方針が行間から匂い出してくる雰囲気だ。現世的な移ろい行く自分と社会を素直に受け入れて、今が楽しければいいじゃん、と言っているようだ。


これを対立的に意識させてくれるのが、最近の建築家周辺の設計事情激変への対応の仕方だ。
理念、理屈、思惑、などほとんど気にしない(?)CASAを見ていると、逆に建築家協会などで問題にし必死で議論していることは何なのだろうと思えてきてしまう。それは百万言を費やす灰色でつらい仕事なのだが、建築家の存亡に関わることなので辞めるわけにはいかないということなのだろう。実務がかかってくるとこんなにも面倒になるのか。


この21日の座談会も、デザインの「見える化」をどう扱うかが、悩ましいテーマの日となるだろう。
まさに見ることと考えることの落差、あるいは位相のズレをどう扱うかだ。