A@デザインに何が出来るのか

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デザインに何が出来るのか。本当に悩む。


唐突だが、今BS2でやっている、山本薩夫監督の「不毛地帯」を3時間かけてみた。昨夜は「金環蝕」、明日は「白い巨塔」、明後日が「華麗なる一族」。
われわれが生きてきた時代をほうふつとさせるとともに、凄い時代だったなぁ、という実感も。
それにしても、山本薩夫山崎豊子は本当に凄い。


不毛地帯」のストーリーにあるような現実からは、はるかに遠くなって、人間が小粒になったとも言えるが、そうではなく、巨悪は質が変わってより見えなくなっただけなのか。
十分食べられるようになって、日本人全体が人間として丸くなったのか。


ここで十分注意しなければならないのが、これらの話があったのは、まだ大企業による体制が登坂で、そのこと自体がいいことか、悪いことかではなく、政治家、官僚はもとより、多くのサラリーマン、国民が一丸となって大企業を支え、国際社会に売って出てることをよしとしていた、ということだ。


それにしても、モノとカネに集約されていた時代の建築やプロダクト・デザインは、判り易かったし、曖昧も飲み込む、その時代ならではの大きさと余裕があった。


それで今、原稿のきっかけでデザインに何が出来るのか考えているのだが、本当に悩む。
こういう映画などを見てしまうと、もっと悩む。
デザインのやることなど大したことではない、という実感も。それを承知でやっていることではあるだろうが…。
亀倉雄策も言っていた、「たかがデザイン、されどデザイン」と。
でも、この言葉も、当時ならではのデザイナーの心理状態をよく表しているが、現今の心理とは少しずれてきたようだ。


現在のデザイン問題は、その必然性が大きくなっていると共に、他方では文化全体に拡散してしまい、とりとめもなくなっている。それだけに踏ん張りどころがなく、力も入らないという状態に陥っている、といえそうだ。
これが考えていることの核心なのだけれど。