「未来派学芸員」を認知せよ!

「我慢できない・・・・なこと」

・・・・に何を入れるか。


具体的な事例は、最近の大臣発言に見えた「一番のがんは学芸員」の余波である。
山本幸三地方創成相の発言撤回に続き、4月18日の松野博一文部科学相の、「学芸員は博物館運営を支える専門的職員。文化財を後世に伝えるために極めて重要な業務を担っている」との学芸員擁護で、「速やかな幕引きが図られた」と新聞報道(以後関連記事:朝日新聞4月26日「学芸員 問われる役割」より)にあった。


どうも気になるのは、この記事のどこを読んでも「文化財」という「モノ」を相手の「過去実績評価」だということ。そもそも学芸員とは博物館法に基づく国家資格だからだ。
そうか、学芸員とは最初からそのような立ち位置にあるということを承知していればいいということか。
これまで学芸員の研究範囲を深く見極めることなく、いろいろお願いするることが出来る数少ない文化人、との思い込みでやってきたが、そうなると、モノを超えての「考え方」や「システムの提案」は、モノが無い場合も多そうだし(他人事みたいな言い方だが、モノを造ればいいという時代ではなくなっていることも考慮の内)、過去の話だけでなく未来の話ともなるから、学芸員の研究分野ではないのか。
現状はそれで仕方ないとしても、政治家もメディアもそんな事情の把握さえも出来ずに、幕引きされた学芸員文化財の保護保全役)で充分満足しているってわけか。それが残念だ。


となると、自分が今、やっているようなことって、どこがフォローしてくれるのだろうか、という気になってくる。それが「どうも気になる」ことなのだ。
じゃあ、自分がやっていることって何だ?
近代の進めた社会や職業の分割や、業務体形の分化が行き詰まり、視聴覚・体感的な人間の感性に合わせた新しい産業構造と労働の方法が求められれている。その先駆けを演じている……っていうことだが、そういうのは、どういう扱いになるんだ?
多分、日本学術会議的な課題領域になってくるのだろうが、取り合えず、判りやすいように「未来派学芸員」とでもしてみると、大学でも一体、どこがこのような試練学を扱っているか判らなくなる。ここで、意外と近いことをやっているのがデザイン研究科的な学科なのではないか、という気がしてくる。
でも、人口減が大学の生存まで脅かし、この危機を捉えて未来学的なデザイン研究科の設立が続いてきたが、教授たちどころか大学関係者の多くが、エコ社会や、AIを軸にした科学的・人工的未来を「分析」するのを別にすれば、こういう学科がどんな実体的な研究をしていくのか、しているのかを具体的に把握できないまま進んでいるのが実情ではないだろうか。
つまり僕の想う「未来派学芸員」はここでも実体が無いようだ。


新聞記事に戻ると、「今回はけがの功名だが、学芸員に関心が向くことにはなった」(建畠哲・埼玉県立美術館長)とあるように、学芸員でさえ、こんなことでやっと市井の話題になるというのだから、「未来派学芸員」なんて、誰も知ったこっちゃない、ということになりそうだ。
山本大臣に影響を与えたとされるのが、大臣の知人のデービッド・アトキンソン氏とのことだが、氏は「観光資源にならなければ(文化財の)保護も厳しくなる」と言っており、「モノ」を対象にはしているが、「観光資源」という経済価値を持ち込むことによって、山本大臣の「学芸員ではカネを稼ぐことが解らない」という意識に繋がったようだ。
その点を吟味してみると、山本大臣の心理の一部には経済要素を組み込むことで一理あるともいえるのではないか。
つまり「未来派学芸員」的な視点では、経済構造も抱合しているので、その観点から見れば現在の「学芸員」が経済社会にうといとすれば、そのことも知っておいて貰わねばならない、という気になる。博物館法からはずして新法とするか、別の法律を創らねばならないかも。


で、新聞記事を読みながら、どうもあちこち気に食わないなという気持ちになり、それがそのまま「我慢できない『このこと=「未来派学芸員」のことなんか問題意識にも出ていない』」となった。






・19:25 293900