BDE@プロフェッショナルの死

【論・情報】


「プロフェッショナルの死」の覚悟から、全く新しく再生する道へ



保護(雇用者)か否保護(独立)かによる、同業プロフェッションの経済格差の拡大と価値観の拡散を覚悟して、その後を考える

―本年6月27日、7月2日、3日の本ブログ記事 「再度問う日本の融合文化発信力(その1、2)」、「ヒナ鳥を殺すな―創造者用語論」 の後を受けて―




ゼネコン、ハウスメーカー、大中企業の勤務建築士やデザイナーは、しがみついて頑張っていれば、生計は成り立つ。また現代では、営業、法規、積算、構造、素材、技術設計ノウハウ、調達、マーケット、保険・融資などの分野が一段と難しくなり専門分化し、また競争が激化し、とても一人や数人でやれる仕事ではなくなっていることも、彼らは知っている。


ということは、面白くなくても勤務サラリーマンでなければ、もはや生きる道は普通にはないということであり、そのことによって、経済的格差だけでも決定的になっていることが明らかとなってしまった。


このことは、「プロフェッショナルの死」として自覚しなければならないだろう。
波頭亮氏の「プロフェッショナル原論」(ちくま新書)では、後段(第五章 プロフェッショナル達へ)で同業者の苦痛への理解が語られているが、終わりはいささか理想主義的であり、プロでも駄目な者は駄目と言っているように取れる。


「プロフェッショナルは、職能を磨き、掟を守っていれば大丈夫なのである」(同書188頁)
そんなことでいいのだろうか。そうでいいと思っている人はそれでいいが、これではとても駄目だ。
どうすればいいのかが、これからの戦いである。

(続く)