B@深澤直人さんのこと

【論・情報】



無意識の意識作業――深澤直人の世界



付き合っている身近な人が意外な人間関係にあり、びっくりすることがある。
今晩会った、近年話題の同業プロダクト・デザイナー深澤直人さんは、いろいろの場所でスレ違ってきたが、まさか僕の懇意の建築家連(むらじ)健夫さんの一年後輩で、同じ多摩美術大学サッカークラブで一緒に過ごして来たとは驚いた。だから先輩が「来い」と言ったら来なければならなかった(笑)。 彼の仕事は世界に広まっており、現在、母校の多摩美大と武蔵野美大で教えているとのこと。


深澤さんの話、というか考え方はここ十年くらい聞いていて、よく知っているつもりだったが、今晩は一段と話に油が乗り、書きとめておくに値するものだった。この分野でよく聞く「アフォーダンス」という考え方の実践版と言えよう。
以下にメモしておきたいと思う。
( )内は聴き取りメモを、わかりやすくするために補足を加えてしまっており (つまり僕自身の考えにもなってしまっていて)、深澤さんが見たら「違う」という箇所もあるかもしれないこと、それにスライドに触れながらの話のため、少々脈絡がないことをあらかじめお断りしておく。…は不明箇所。


考えることと感じることの違い(を体感し、表現に結び付けなくてはいけない)
「いい」は見えない
「いい」は感覚的であり、「よい」は倫理的(論理的という匂いも)
デザインにはその両方が必要だ
ARCHETYPE(原形)は経験しなくてもよい・典型は…
デザインにはINVISIBLEなものがあり、表現よりキャッチアップする力が必要だ
デザインとは人とモノと環境の関係を考えること
「自然である」と「自然に」を比べると、「自然に」は(人間の)意図が感じられない。CONTINUOUS(持続性のある)とNATURALか(の違いか)
―――――――――――――
(デザインプロセスで)(自)意識全体を取り払う状態とは、そこに残っている「ささくれ」を取り払うことだ (あらゆる行為を、われわれは無意識にやっていることが多いが、意識化され意図的に工業生産されるモノはそれを無視していることが多い。また人間の考え方自体が、意識的に論理化しようとする。その落差に気がつき、それを取り除くことだ)
シンプルとはスタイルのこと(を言うだけ)ではない
―――――――――――――
接触(をデザインのキーワードとしたい)
目で見るのではなく、目で触れるのだ
われわれは手で触れられないものを目で触れている
「見る」は意識的で、触れるは「無意識」である
―――――――――――――
(現代は物事を)突き詰める必要はない。そこで「いいね」という素直な言葉が意味を持つ
(プロダクト・デザインで)「なんとなくいい」は、「隅」と「縁」を整えることだ
感じていることは正しいこと
行為を意識から消すこと(に意味がある)
…でなく、思考から消す
――――――――――――――
AFFORDANCEとは、「環境が人に提供する価値」のこと
ただし、「(常に関わる)その(特定された)状況において」という条件がつく
環境が(人間の)行為を決めている
――――――――――――――
デザイン(すること)とは意識の中心を見つけることだ
椅子はなくても座る行為はある
「必然」を探し出さないと、リアリティは生まれない
機械は人間に寄っていくか、環境に寄っていく
――――――――――――――
皆、意識に入ろうとする。無意識に入れ
人の行為に相応デザイン…
意識化されることを嫌がる(デザイナーになれ)
――――――――――――――
「既知の未知」(というのは、いい言葉だ)
「はまっている」という感覚が大切で、普通にやるとデザインは「はまっていかない」場合が多い 。パズルゲームを例にとると、はめ込むパズル一個を問題とするデザインでなく、パズル全体において、欠けているその隙間一空間を意識するデザインへということになる
同じことを人間のフィギュア(外形線)で示すと、線外からの力と線内(皮膚内部)からの力がバランスが取れている状態を意識するデザインへ、となる
「張り」とはバランスのことだ…
――――――――――――――
WITHOUT THOUGHT がデザインの信条だ
人間がやる行為を、(意図的にやろうとする前に、ほとんどの人間が自然にそうする次の行為が先読み出来るので)先にやる(デザイン行為として先回り手をつける)ことに意味がある
テクノロジーは見せないようにする
「客観」になり切らないと…(マチスは晩年には3mくらいの棒を持って先にコンテをつけてデッサンしたが、距離を置くことで「客観」が見えてくるという例として説明)
GOOD DESIGN と RIGHIT DESIGN の違い(を判る必要がある)
――――――――――――――
客がいるのと(つまり説得してゆく)のと、自発的なのとはまったく違う…(ここでの意味は、顧客がいてデザインする場合への質問の話だったと思うが、「自発的」とは顧客企業のデザイン依頼事情が明らかになるにつれ、自然と問題解決に迫りうる、という意味にとってよいかと思う。そうすると前段は、顧客企業を意識して、思う商品デザインを説得して提案してゆく状態のことを言っていることになろう)
メタファーが、スッと組み合わされる瞬間(こそが待ったデザインである)
パンチを出してはいけない。いかにそこに嵌まってゆく仕組みを創るかが問題だ。
――――――――――――――
(付記)メモしておく必要があるのか、ないのか微妙だが、ワインを飲みながらの後からの質問に答える形で、更に彼はいくつか挿話風の答えをした。当方も余談と受取り、ちゃんとしたメモもせずうなずいていたようなわけで、正確な前後の発言を把握していない。これを発言録として書いてしまうと、彼の主旨と違ってしまうかも知れないが、事情を斟酌して頂いた上で、自分なりの解釈で次の残ったメモを追加しておく。…だんだんワインに酔ってきたのかもしれない。

(外国で講演すると、よく仕事に「ウィットがある」と言われるが・・・ウィットは自分の考えたことの結果ではない…)
(こちらからワイングラスが良いデザインだ、と言うのでなく…「ワイングラスが笑っている」と受け止める)
(寿司の旨さの秘訣は握り方や素材にもあるが、「醤油の付け方」に掛っている…そこにEXECUTION―絶対的な効果、出来栄え、という意味か―の在り処がある…)

―――――――――――――――


だいぶ長くなってしまったが、基本的に深澤さんの考え方に異論はない。
ただ、やるとなると、自意識からモノの形態を捉えることに習熟させられてしまったデザイナーには、「発見と納得の瞬間」を得るための苦行のような時空間が待っている難しさが感じられる。
こういう考え方は柔道や剣道などの国技にもある、引いて相手の力を利用する技と通じるところがあり、日本人ならではの発想がしやすい概念である。
話を聞いている間中、禅の心や「間」の問題が去来し続け、「日本人だから出来ること」という僕のコメントに深澤さんも大きくうなづいていた。


彼に言いそびれたが、建築や都市の設計においては、事は少々違ってきて、「意識の空間や形態」がある、あるいは必要とされる場合も少なくない。
彼もこのことは感じているらしく、「そうなると、もう一枚上乗せの考え方が必要かも」といい、やってみれば「思い切り意識的なことになったりして…」と、最後の締めとなった。


もう一つ、聞き忘れた。
それは、こういう概念で学生たちを教えることはいいことだが、日本の産業界に卒業生を出してゆく時に、この考えだけで通用するのだろうか、という問題だ。そっちにも大きく捉われている僕にはぜひ話してみたかったことだ。


最後に深澤さんは大卒後すぐに、サンフランシスコのIDEO(アイデオ)社に8年ほど勤めたようで、帰国頃に自意識からのデザイン行為を捨てる決心をしたとのこと。
話やスライドに英語がポロポロ出てくるのは、この在米歴のためだろう。