造った意味のない建物と故郷

【日記】



想い出のない高校の校舎を出て、裏山を歩く古い仲間たち



15年ぶりくらいに、高等学校の学年同窓会に出席。神奈川県立小田原高校11回卒業生。一組50人程度、8組まであった。
今夜の参加者は25人くらい居たか。
当然、出てくる連中は元気がいい。近況報告には、何人か、体調のことに触れていたが。
かってより、知っている者は見た瞬間に「おう、○○」と名前が出るのが凄い。
3年6組は、瀬戸章嗣、石塚敬一、入野卓彦、月村博に私の5人。他に1,2年で一緒だった、今道周雄、辻秀志、佐々木洋、西川岳男各君など。

知っている仲間がいなくて心細く、講演時に声を掛けてくれた今道君についてゆくことに。でも懇親会までにはだいぶ打ち解けてきた。


わが出身高校は、在校時から2度の建て替えをしている。結局、ノスタルジーかもしれないが、自分がいた時の校舎が一番品格があった。
木造ベースだったためか、気がついたら建て替えられていた。イタリアに行っていた時だろう。どこにもある、まったくつまらない建物だった。
そうこうしているうちに、また建て替えられてしまった。バブルの時だったのだろう。あれは何だったのか。


小田原駅の裏山にあって、そこから降りてくるのだが、小田原城築造時に設けた、山側からの外敵の侵入を防ぐ切堀(正式名は後で)を見て降りようということになって、さらに裏山に入る。それこそ高校時代にか、1,2度だけ見たことのある切堀を何十年振りかに見たが、当時の暗い谷間のようだったのと違って、きれいにしてあった。
この奥にまだ、寛政11年(1799)に完成したという「荻窪用水」というのがあるとのことで(広報おだわら本年5月1日号)、小田原も奥が深い。もちろん箱根の外輪山に入って行くわけだ。


語らって寄り道をし、歩いて山を降りる時、これも新築の上、結果的に一時だけ使用されていた県立女子高校(城内高校)を見やることが出来たが、全くの廃校になっていた。
城内高校は現在、小田高と合併して、上記の校舎に入っているのだ。
本当に、この時代、何をやってきたのだろうか。