幸せな時代の日記

【日記】


幸せかもしれない(この意味は深い。我々が知り得たあらゆる悲惨な歴史や現実に比べれば、という意味を込める)けれど、日々が思いを成すすべもなく過ぎてゆくことへの焦りと不安も同居する(何をやってるんだ、この政治は!)。



コシノジュンコさんとしばし立ち話をする機会を得た(JIA《日本建築家協会》の支部企画「アーキテクツ・ガーデン」のメイン・イベントの後で)。


機会はあったのだろうが、「新日本様式」「クール・ジャパン」などでは役廻りが違い、すれ違いで、そのことから話したのだ。これまで一度も会ったことがなかった。
もっと噛みつかれるかと思いきや、ごく普通の姉さんという印象。ここには記せないが、行政の問題や、日本人の「コピー」への軽い考えなどについて意見を交わした。
講演は、自分の母親の伝記が映画化された話にも触れ(「カーネーション」)、自分の身の周りに起っていることをランダムに語る、というトーンで、テーマであった「対の日本文化」というような内容は、むしろ付け足しになった。
建築家にはある配慮をしてくれているようで、7、8年前にもここで話させてもらった、とのこと。




ミッドナイト・イン・パリ」を観た(東急文化村ル・シネマ)。
この映画はパリの妖艶さをよく出している。それも1920年代の場面設定が効果を出しているからだ。
ゴールデン・グローブ及びオスカーの脚本賞を貰っただけあってアイデアがふるっている(監督:ウッディ・アレン―いかにも彼らしい)。
2010年に生きるアメリカ人で作家志望の主人公ギル(オーエン・ウィルソン)が夜、パリ市内のある場所に立っていると、「この時代」の車が迎えに来て、第一次大戦後の享楽的なパリの酒場やキャバレーに行くことになるという設定。時代錯誤感が楽しい。
ギルは、婚約者の親夫婦が商用でパリに行くのにくっついて共に来てしまったが、婚約者とはどうもしっくりしない。そのために家族との夜の食事の後、パーティに行くのを嫌がり、自分だけ歩いて帰ると言いだし道に迷う、という設定。
1920年代といえば、(そして20年代の話の中で、もう一つ前のベル・エポックにも飛んで行く。1900年前後だ)、出てくるのは若きアーネスト・ヘミングウェイガートルード・スタイン、F.スコット・フィッツジェラルド、T.S.エリオットなどの文学系。かと思えば、セーヌの洗濯船に住んでいたのかも知れないパブロ・ピカソサルバドール・ダリ、ポール・ゴーギャンエドガー・ドガ、さらにはマン・レイまでの美術系。他には、ルイス・ブニュエル(映画監督)、コール・ポーター(作曲家)、ジョセフィン・ベイカー(ダンサー・歌手)などちらちらと。気が狂う、とともに、世代的、年代的にはこの時代に飛んだギルの年齢と前後していることになって、その会話のやりとりに劇場内は苦笑、爆笑。脚本賞のゆえんだ。




向井周太郎さんの「生とデザイン」(中公文庫・2分冊)を拾い読み。近々、向井さんのセミナーがある事もあって、出席を求められている。同感することも多い、というよりむしろ、近過ぎるのでは?
セミナー後に、このブログでしっかりと取り上げたい。
向井さんはデザイン界の大先輩であり、(社)日本インダストリアル・デザイナー協会の名誉会員でもあるのに、(東京芸大ではなく)武蔵野美大で教えていたこともあってなのか、どういうわけか記憶では一度も面識がない。
向井さん自身が学会や団体のイベントには「招かれなければ出ない」という主義らしいのと、バウハウス理解の第一人者ということによる偏見(?日本がバウハウス理念からは遠い社会になってしまったことによって、逆に今時の人ではないという市井の思い込みによる?など)によって、団体理事会などでもあまり話題にならなかったことなどが重なったためと思われる。
しかし、我々の食わず嫌いのようなところもあったと思う。今、時代の再転換期にあって、改めてよく話を伺いたいと思い始めている。
●●7月15日に記述




ヴェトナムの話をする知人が来た。