「向井周太郎さんへの結論」への感想

【論】


始まったばかりの変革への小さな胎動
―向井周太郎論への感想―去る7月13,16,25日の当ブログについて



押し出されるように論考を要求された向井論の後、これで一応終わりかと思っていたところ、トークセミナーの主催者佐野邦雄さんから、以下のようなメールが届いた。よく自分と、現今の社会を見つめた内容になっているので、これもご本人の了解を得て紹介する。




大倉冨美雄 様


暑中お見舞い申し上げます。

昨日、プログを拝見させて頂きました。
向井さんのセミナーの件、大変時間をとらせてしまいましたが、ありがとうございました。
大倉さんのスタンディングベースと切り口を充分感じることが出来ました。

私としてもこんなお願いは初めてなのですが、随分しつっこいなと今は反省頻りです。



話が前後してしまいますが、向井さんへの思い込みは、まったく個人的な経緯がありました。      

           
初めてお目にかかったのは、向井さんがウルム留学から帰った時の羽田空港です。
いまから50年も前のことです。
私はその後1969年にウルムへ見学に行き、向井さんが1978年に「デザインの原点」を出版された時は、丁度日本能率協会の仕事をしていましたので、たまたま入手していました。                
1986年にはデッサウ・バウハウスのワークショップに参加し、1992年に「自省的文明」の新聞記事を読んだのです。
ですから私の心の中では一定の距離を保ちながら、「線」としてずっと関心が持続してきたのです。             

但しそのことが、これは個人的なこだわりなのか、あるいは日本において社会性があるのかを長いこと考えていました。
そして今、隘路に陥っている(これまた思い込みか)日本のデザインに、向井さんの視点が必要だと思ったのです。
デザインを経済行為と割り切って一生を終える人にとっては縁のない話ですが、ある時、ふと気がついてみたら、片肺飛行だったということになる可能性もありますので。


今は3・11にとらわれることは自然だと思いますが、私はたまたま、東北の瓦礫の山を何回も見ました。
それは技術文明の惨憺たる結果の露呈でした。
ここ数十年、日本には主立った文明論、特に技術文明論がまったく影を潜めているように思います。   そんな中で向井さんの「自省的文明論」が刺さったのです。
その基本が抜けたままで論じるデザインも原発も同質のものを感じるのです。


一方でデザイナーが今、未来に対して発言することに、とても臆病になっているように思います。
メタポリズムのような楽観論も出ないし、議論そのものも苦手では、自ら閉塞状況を作っているようなものです。
大ボラ吹きも居そうな建築家たちに比べると、デザイナーの主張は1000分の1にも達していないと思うのです。
本当に「自由闊達な」議論が必要な時です。そこが突破口になり行動へ繋がる可能性もあると思うのです。
その中で「言葉」と「かたち」の問題も繋がり融合してくるのではないでしょうか。両方の世界を知っている大倉さんにはぜひ口火を切って頂きたいと思います。
また、お願いになってしまいましたが、どうぞよろしくお願い致します。


暑さの折、お身体ご自愛下さい。


佐野邦雄