パリ/ミラノ・その間

【日記】


パリ/ミラノ・その間



浅井忠がデザイナーの先鞭をつけた。2週間位前のTV番組でこのことをやっていた。


浅井にしろ、誰にしろ、明治期にパリに行った日本人は意外といることが判ってきた。
滞在期間やその後の活動などを調べるのはこれからだが、これほどロンドンでもなく、ベルリンでもなく、ローマでもなく、ニューヨークでもないということは、やはり注目に値する。
そんなことを言いつつも、パリで客死した日本人画家も少なくないのでは?


在伊時代のことだが、ミラノから車でパリに入った時、やはり大都会だなと思った記憶がある。パリに比べれば、ミラノの夜はやっぱり薄暗いことがわかった。
人間もやはりパリジャンのほうがより国際的、と言えそうだ。これは最近、話したパリに画廊を持つ知人の意見でもある。
今、思えば、より解放されて生きるにはやはりパリの方が良さそうだな、という気持ちは湧いてくる。


あのころ、仕事はミラノにしかなかったし、事実、フランスの工業デザイナーがミラノに来ている始末だった。
じゃあ、今はパリにも仕事はあるのか。EUの破綻が叫ばれている今日、もっと状況は悪いのかも知れない。


やはり言葉の問題もあるし、当面パリでは観光客でいるしかなさそうだ。