「デザイン社会構創の会」という「変」

【論】


持続こそ力なり、か


ネット上の勝手な連携について


何か新しい形の連携を、しかも何の強制力もなく創りたいとは思ってきた。
考えてみると、ある意味でもうそれはやっているとも言える。このブログで必死に書いてきた事がそれだ。


このブログを通して、これまで蓄積してきた知識や情報を、思いつくままに流してきた。これでいいんじゃない?
これって何か名前をつければ「デザイン社会構創の会」とでも言うのかな。




そんなことを思わずには居られなかったのが、例の(と言っても、知らない人がほとんどだろうが)、勝手に自分は総理大臣だと名乗っている坂口恭平君という若い男の言い分があるからだ。彼のことはすでに去年の7月4日のこのブログで取り上げた。
彼は言う。
「いいですね。いい感じで世の中が狂って来ている。昔はこういう話をすると頭がおかしいみたいに言われてたんですけど、3・11みたいなのが起きると一気に反転する…」


興味をもったのが、「やろうとしているのは現行の意味での政治じゃない。芸術(アート)です。語源は『生き延びるための技術』。これを見せてあげなきゃいけない」、という類の主張があるからだった。
78年生れというから35才のこの男、実は早稲田の建築科の出身のはずで、半年くらい前に週刊誌で知った。どうりで、アートだの、技術だの、創造だのと連発するわけだ。例えば、「善意とか社会貢献とかだったら疲れますけど、創造は楽しくってしょうがない」、「政治は語るな、つくれ。芸術は語るな、つくれ。やりゃあいいじゃんって」といった具合。


少し矛盾しているかもと思える言い分に、
「人が悩む、社会が荒れている時っていうのは、とにかく言葉が無い。だけどまさに今、新しい言葉や言葉のつながりが生まれようとしている。芸術の時です。音楽も演劇も絵も言葉ですから」
ん? なら「語るな」と言う必要もないじゃん、ということにならないか。まして諸芸術が言葉だとは言い過ぎじゃん?
もっとも、人とのコミュニケーションを事業とする以上、言葉抜きではないわけだから、言わんとしていることが分からないではない。
このように多少飛躍するのだが、それはそれか。


このように、彼に言わせると「何より人に会うこと。互い才能と言う貨幣を身ぶりを使って交換するのだからインターネットだけじゃ駄目です」となってくる。
そうなると僕のネット上の勝手な一方的コミュニケーションでは駄目なのかな。
それでも、「ただのギブ(与えること)として出来ることをやり、語るのでなくつくり、人を集める行為を創造だと捉えている」という点は、考え方としてはいくらか繋がっている。


繋がっているかもと思う、もう一つは他方で非常に政治的なこと。
「2011年5月10日に新政府をつくり、総理大臣になりました。現政府は機能不全に陥っている。でも無政府状態は良くないので自前でつくろうと」
どこかずっこけていて、笑い出してしまいそうだし、官僚が見れば「馬鹿馬鹿しい」と一言のもとに切り捨ててしまいそうだ。しかし、彼の言い分には現状に飽き足りない多くの人たちの琴線に触れるところがある。だからメディアも取り上げるのだろう。
「現政府に文句言うより自分で政府つくった方が早い」、「生存権の死守。これが新政府の政策です…」


でも、ここからは簡単にまとめよう。経済活動の話にもなるが、よく理解できないので。
「…『大変でしょ?』とよく言われますけど、これ、お金稼ぎですから。経済活動としてやってるんです。だって俺は人間を『お金』って言ってますから。人間自体を貨幣化するというのがネクストジェネレーションの社会です。円が人に代わり、人を集める行為がこれからの主流になるんですよ。そのお金が俺んとこにチャリンチャリン来てるんですから。…ありがとうって。いつかは一緒に動くぞっていう貯金です」


ふぅーん、そんなものかね。
こちらは大真面目にNPO法人やってても、どこからも寄付も人も来ないけど? 「生存権の死守だ!」って怒鳴らないからかな。
「貨幣化されたくてうずうずしている人はいっぱいいますよ。…そういうのが今ないんですよ。必要とされること。人に喜んでもらえること。それこそが生き延びるための技術です。…」


この後、「いのちの電話」の話になり、
「人間バンクをつくろうって言っているんです。日本銀行券なんかいらない。人間自体を貨幣化し、それぞれの才能を交易させる。とにかくみんなで協力し合おうと。『なぜならば、みんな豊かになるぞ』って。お前の300万円で俺がやってあげるよって、日本銀行券でも交易可能です。…」


この「俺がやってあげるよ」っていうのは、そいつが何か事業しようとしていて難しそうな時、代わりに俺が手伝ってやるよ、って意味なんだろうけど。
こうなると本気でそう信ずる者同志でないと交感出来そうもない。



これは「『変』2013」というタイトルに、「才能の交易こそ新しい経済/総理大臣としてゼロ円革命」という見出しをつけた朝日新聞本年1月10日の記事の主要部を、自分の都合よい理解に従って拾い直し転載したものだ。
78年生れというから35才の若者に、聞き手(高橋純子氏)が旨かったのか、編集で苦しんだ結果の出来なのか、いずれにしてもこんな素っ頓狂な提案が実際に「事業化出来」、新聞でも大きく報道されるような時代になったことに眼を開くことは大切だと思われる。
それでこそ、「デザイン社会構創の会」なんてのも、全然不思議でなくなろうというものだ。でも、「これで運動資金にしてください」とか、「応援しますから僕にやらせて下さい」なんて言う人が現れるんだろうか。
現れると信じなければ何も始まらない。信じよう。