モーツアルトの最後を想って

【日記】


残し切れなかった天賦の才


突然、モツレクのことを書く。
モツレクとはモーツアルトのレクイエムのことで、親しみを持ってこの曲になじみ、モーツアルトを愛している同人たちが使っている略語である。
日々、貧困と病魔に追い打ちされ、天賦の才を記録に残し切れずに、30代で絶命し、共同墓地に投げ捨てるように埋められというモーツアルトの最後の日々が急に意識され出して書かずにいられなくなった。どんなに残念無念だったことだろう。


発端は、机の上を整理していたら、いろいろなメモ書きが出て来て、メモするからには何らかの保存の意味がるのだろうと、捨てきれずにメモを読み始めたことにある。連休に人出を避けて家で寛いでいるから出来るようなことだ。
その中に数か月前のTVでのバイエルン音楽祭でのモツレク演奏を聴いていて、最初の合唱曲8曲について、それぞれタイトルがあり、それを慌ててメモしたのだった。
モツレクには深い感動と想いがあるため、このメモを捨てきれずに眺めているうちに、何だ、きっとネット検索でこれ以上のことが出ているはずだ!と思いだし、調べてみると、ある、ある。バカだな、俺は!と思いつつ、このメモをゴミ箱にいれたが、ついネット上のモーツアルトの最晩年の記録などを読み始めてしまった、というわけ。


一言追加すると、この曲の8曲までは自作の樂譜があるが、後が無いという俗説があって、その前後も含め、弟子のジースマイヤーの編曲になっている。その後もいろいろ調べられたりして編曲者はどんどん出ているようだ。
そのジースマイヤーの編曲が下手で、この8曲を越えると聴けないという人も少なくないようだ。僕自身、何度かこの後を聴いても、確かにこの8曲どまりでいいやとの想いから、もう長いことこの後を聴いていない状態だ。
この8曲目が「ラクリモーザ(涙の日よ)」で、本当に涙なしには聴けない。学生時代に友人となった同寮の作曲家も(卒後一度も会えずに、40代頃か、熊本で客死、とだいぶ後になって縁があったという人から聞いた)、モーツアルトの、そして全クラシックの最高曲と認めていた。
(付言:僭越ながら、この音楽にまつわる話を拙著「デザイン力/デザイン心」に書いている。「マテリアリストのないものねだり/音楽の功用」)