シスレー、良かったなぁ、あの頃の自分の絵画観
『日記】
これから国立新美術館へ行く。
何か夢遊病者のような言いっぷり(笑)
「シスレーからモンドリアンまで展示されてる誰かのコレクション展をやっているわよ。お友達と国立新美術館のティールームでの待ち合わせだから、ついでにその前に一緒に見ない?」という家内の提案で、時間を割いてついていくことに。実際、行って、見て、帰ってきてからまた書き始めている。
「シスレーも、スーラも、シニャックも、モンドリアンも、みんな知っているよ。何を今さら」とは言ってみたが、時間があるなら見ておきたいと思ったのだ(それにしても、シスレーとモンドリアンではあまりの落差。このコレクターが何を考えていたのか、調べる必要あり)。
シスレーやピサロは実際、我が心のふるさとの画家だ。中学時代には、あの陽光の中にある木立の気持ちよさに心酔していた。それにあの水辺。
印象派の一人だろうが、今でもそのてらいの無い描写力は、現代絵画の原点のように思っている。そのあまりの素直さは中学生の脳裏でさえも、このような絵を描いているのでは先が無いと思っていたくらいだから、その後の絵画観の動揺は当時でも予感できた。
(言いたいことが膨らんできたら継続)
ということで、ちょっと気になりだしたのが、建築家に絵の旨いやつがかなりいるということだ。それが判ってきたのが、事務所をたたんだり、定年で建設会社を止めたりした連中が、個展やグループ展をやったり、フェイスブックなどに掲載したりと、見る機会が増えてきたことによる。
中には「えっ、こんなにうまいのか」と、改めて本人を見直す知人、友人もいて驚く。
デザイナーがうまいのならあまり気にしないが、ここまで技術職化しているこの職業の者が旨いと、大いに気になる。
もっとも、この「輸入職業」の出発点から旨いやつはうまかったようだ。
松田平田設計事務所の創立者、松田軍平のスケッチも会社のロビーに遠慮がちに展示されているが、手馴れたもの。前にも紹介したが大沢三之助も大したもの(本ブログ2010年12月24日「深い共感の大沢昌助と父三之助展」参照)。
昨日の仲間のメールでも若手の田中俊行君が太平洋美術会で佳作に入ったとか。まさか油絵までは描いていないと思っていた。「へー、やるじゃん」
建築家協会のデザイン部会でも、今年からこれも若手の山本想太郎君が「建築とアート」をテーマに部会長に。彼自身、妻恋のアートトリエンナーレで出品している。
一方で、一昨日か、NHKの「プロフェッショナル」で紹介されていた、最近話題の佐藤オオキ君だが、彼の描いていたスケッチの紹介が何とも愉快。アイデアを求めると形態線画でいいというわけだろう、ちっちゃく、こまこまとドラフティング・ペンで描いていた。多分、彼は絵は描けないのでは?(間違いだったらごめんなさい。以前、コイズミ・ライティング・コンペの審査員をしていた時、彼の仕事を選んだことがあったことにちなみ、先輩面)。絵が描けるとアイデアが「絵になってしまい」、本当のアイデアにならない場合が少なくない。スタイリングに流れるのだ。
デザイナー、建築家の「絵心の問題」は面白い。
こうなると、「アートで職能を示そう」というデモンストレーションも可能なのでは。12月13日のトーク・バトルで提案してみよう。
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