良質な建築と美しいまちづくりのために必要なこと

【論】 


(A+B+C)×D となる協議調整システムの提案

――「法令適合=環境不適合」からの脱出――



最近にない、合意できるいい話を聞けた。
それは、市役所勤務が長く、各種審議会や大学講師歴など多彩で、まちづくりコンサルタントの松本昭氏(《株》市民未来まちづくりテラス代表取締役)のレクチャーで、難しいテーマだった。それは、「良質な建築と美しいまちづくり制度としての『土地利用の協議調整システム』」というもの。
もっとも建築家の集まりで語られるだけに、「良質な建築と美しいまちづくり」という言い方だけが、地域住民を含めた全体協議の最終合意であるかどうかは、まだ討議の余地がありそうだが。また用語が、一般の理解にはかなり難しい。
ともかくも自分の意見も含めて、できるだけ判り易く、まとめてみよう。



[主題]
新しいまちづくりは、これまでを「一元主義」とするなら、「多元主義」とも言うべき「協議調整型」へ移行した土地利用法制の推進によることになるだろう。
―「協議調整システム」の導入とはどういうことか―







建築家や文化人の多く関わる言論の世界では、ほんの一部の例外を除いて、どうして日本のまちが「美しくなく魅力的でないか」とか、「建物の趣味や質が悪いのか」とかの疑問があり、常に問題視され意識されもしてきた。
過日(3月11日)の建築・まちづくり委員会(日本建築家協会)でのセミナーはこれに関わるものだった。

この問題への市民レベルでの関心がやっと出てきた感があるのは、外国旅行の一般化による部分も多いかも知れない。70年前には、東京を始め多くの都市が廃墟になり、食べるためにせい一杯で、美しいもへったくれもない状態だったのだから。
ここで確認したことを、一般の人にも興味を持てるように話してみたいが、やはり専門用語の集まりとなりそう。建築家と自称する人でさえ、法律の読み込みと行政施策の実体、民間活動事例やそれへの経験などが仕事のメインでなければ、知識と経験量が追いつかない場合が多い。
僕自身でも明確でないことが多く、頭の整理のためという理屈もつけて改めて資料から読み込むので、松本氏にも本意に合わない身勝手な解説もあるかもしれない。お詫びして、付き合って頂ければありがたい。(なお、「」付の用語の多くは、主に氏のレクチャーで使われたものである)
論点は「良質で美しいまちづくりが出来ない」理由が、「土地利用のあり方」のルールに問題がある(主に建築基準法に問題がある)ということであり、これを公に(自治体と民間が)「協議調整」という基準を持ち込む事で解決出来るはず、という立場で説明するものだ。


現在までは、事業開発意欲(ビルを建てるなど)のある事業者が土地を取得し、建築基準法都市計画法が要求する、いわゆる「事前明示基準」に則って土地の利用計画を企画図面化し、それが建築確認申請されると、制度上、ほとんど変更される事もなく認可されており、そこに大きな問題がある。当然この場合、申請者は要求される諸法規の最低基準は守っているのだが。
簡単に言うと、基準となるこれらの法規には「地域の価値」や「地域の意思」が反映されず、基準法の持つ「定量的基準に裁量判断の余地が無い」からだ。


どうしてこうなっているのかと言えば、もともと建築基準法の施行に当たっては、全国一律、定量化による一元化の思想が働いていたからである。そこには戦後復興を急ぐ全体主義的国家観の考えに沿って、地方に任せず国として一元化すべきという中央集権的な考え方に加え、管理コスト面などからも数値的に合理化する意識が働いていたからであろう。さらに近代合理主義の考えの中には、個別解を許さないものがあったことも関係していそうだ。建築を土木「工学」として学んだ建設官僚が多ければ、法制度の下地作りにおいて、ますます数値基準に依存していっただろうことも十分想定される。
事業者側にも、これに呼応するような経済主義の発展による最大効率の収益計算の組み込みも、結果的にこの法規の弱い面に漬け込む結果にもなった。
こうして施行されてきた建築基準法は、紆余曲折を経て序々にその欠点を表してきた。それは大きくは3つある。
1つは「景観・街並み」の放棄(これらを前提にしていない)、2つめは地域に閉じた「技術法」(地域社会との応答を問わない。一束にしようとする複雑な技術体系など)、3つ目が混迷する「集団規定」(時代と共に予測不可能な規定外事態の出現のこと。都市計画の枠を超えた建築基準。建築規模の指標とならない容積率など)である。
この法規はこのように、規制法上の解釈では「定性的な考え方が無く」、さらに積み上げ型で、施行令、施行規則、告示に至り細部まで網を張り、後発の都市計画法を巻き込み、既存法体系を変える事は非情に難しい状況になっている。


ということで、法規の改正や廃棄が難しい以上、いろいろの経験から、「多元的管理主義による網掛け調整の取り込みによる解決」の方法が事例としても進められていて、全体にその方向への途を取りつつあると松本氏は言うのだ。
また、この事態の上を行こうとして「建築基本法」を創ろうという動きが、東大客員教授の神田順先生によって進められていることも付言しておきたい。
述べたように元々、国家として一元化を進めてきた中に含まれていた「公共の福祉」の考え方が、今や、「多段階活用の時代に移行してきている」ことに現れていて、そのことは地域条例への反映とその優位性を示す事になった。それが地方自治体で決められる「まちづくり条例」などの転換に現れている。この条例は行政指導条例として「一元主義」の時代から生きてきたが、今や地方分権の浸透により、「処分性のある条例に転換しつつある」。
このような変化の兆候は、進む人口減と急激な超高齢社会化も十分関わっていると見るべきだろう。消えゆく町や村、シャッター街となった地方都市の情報は枚挙にいとまがない。高齢者も増え、開発より保存や生活環境の向上の方への視野が広がっている。都市計画法には「公共の福祉」への言及もあるが、今は高度成長を目指していた時代のまちづくりより遥かに広範な視線になったと考えた方がいい。


その流れを得て進めるのが、この「協議調整基準」という考え方(以下「協議調整システム」とする)で、すでにこの運用が現実に進行しつつあることを松本氏は説明した。「民間協議の場」を含めた中で調整すれば、まちづくりや建築単体に、「美しい」も、「質の良さ」も加えられるというものである。これが「法令適合=環境不適合」からの脱出なのである。
これには、建築基準法都市計画法、景観法、自治体が立ち上げたまちづくり条例が全体として関わることになる。

法令に基づく「裁量」と「協議調整」を取り込むにあたっては、施行された「地方分権改革」と、特に「景観法」の二つにより、法令環境が大きく変化したことを前提としなければならない。これにより地域が少し頑張れば大抵の事はできるようになってきた、と松本氏は言う。
ということで、


「まちづくり(都市計画・建築行政)は、自治事務であり、法令の解釈は、地域特性に適合するよう独自に定める事が可能である」!


地方分権(2000年4月)後、法律の地域特性に適合する解釈運用が憲法の要請であり、法令解釈権は国と地方が平等であり、法律明示に関わらず条例制定が可能(法令執行条例)になったからである。



A+B+Cの提案


では、どんな「協議調整システム」が取られ始めているのだろう。
松本氏はこれを自前で調査分析して、開発手続型と、開発基準型に大別した。実際に各市町村、地区で起った事例に沿って、開発手順型を「大規模事業調整型」(具体例として府中市練馬区平塚市、大磯町、国分寺市調布市など。以下同)と、「紛争調整型」(横須賀市練馬区取手市)にしている。
開発基準型の方は、「大枠明示個別協議型」(新宿、目黒、練馬各区、熱海市三鷹市国分寺市)と「定性基準個別協議型」(芦屋市、鎌倉市安曇野市2010)、それに「地域特性基準適合制度」(八潮市2011)の3つに分類し解説している。区分けから見てある程度判ると思うが、一般に上の方ほど年代が古く、後の方ほど革新的である。
この専門事例が具体的で興味深いのだが、膨大な話になるので省略せざるを得ない。一番先鋭的だった一例だけを挙げれば、それは「定性基準個別協議型」例とした芦屋市の「景観地区活用型」だという。これは景観法に基づく景観地区の認定基準に協議調整領域を定め、景観デザインの観点から協議調整を行い、周辺がすべて2階建ての戸建住宅地に建てようとした5階建て(高さ約14,5m)、壁面巾が片面で40mという直線型マンションを不認可とした事例である。景観法による裁可基準を援用した景観行政団体(芦屋市)の判断が、建築基準法に優先したのだ。国交省はその判断でよいとしたという。(2010/2/12)


さて、これまでの実績を踏まえての新しい「協議調整システム」とは、つぎの3つを合成して判断するものになるだろう。


A「事前明示型土地利用基準」(従来のものだが、これまでの可否基準に調整領域を加える)
+B「定性基準個別協議型」(定性的な言語基準を根拠に計画地の特性に応じて協議調整)
+C「地域特性基準」(土地利用の発意後、施行されている地域特性基準を獲得して計画策定)




A+B+CにDを加える(掛け合わせるとも言える)提案


もちろん、ここにはこれを検討する委員会などの設置が必要になり、行政、住民、事業者が渡り合う場の構築が求められる。これが「協議調整システム」の必要性だが、ここにはどうしても専門的第三者機関(審議会)の設置と参加が求められる。ただし、個人の責任に頼り過ぎは問題であり、かといって、全体合意にばかり氣を取れていて何も決められなかったり、何も面白くない(進歩性や創造性がない)結論になっても意味が無い。そこには委員会メンバーの設置の仕方、人員構成などの課題が待っている。
運用の難しさといえば行政側にも、弱腰や、担当者の適性、人事異動による経験的知識の積み上げ難、もっと大きければ首長の交代による方針転換、市民委員や専門家委員選択の難しさなどがある。
あまり問われてはいないが、専門家となると一般に大学教授系となり易く、ここに潜む問題もある。すでに述べてきたようにまちづくりは、「法令適合」からの飛躍であり、「定量的な判断に定性的なものを加える運動」である。「美しい」などというテーマは、デスクワークによる論理の整合性、あるいは議論を重ねてまとめただけでは成果は得られない。日本の高等教育体系から、個人の内で論理追求と感性追求(特に視聴覚五感系)の高度な両立は非常に難しく、僕はこのテーマで学会発表もした(参考:本ブログ 2014/12/12「Designを二元化せよ」参照)
このことは翻って、「協議調整システム」の協議の実務にも、もう一つ上級の「創造システム」(Dとしよう)が必要で、合わせて二段階形式になることをうかがわせる。


もう一度、難しい言い方になるので説明すると、上述のA+B+Cで判断していくのだが、それがある程度判断が付いた段階で、「創造システム」とした再考チェックが必要ということだ。ここで美や文化性など言葉で表現し切れない「定性的」要因からの検討を加えるということだ。ここで問題があれば、またA+B+Cに戻る。もちろん、A+B+CでもDの検討を含んでいる場合もあろう。Dの検討でA+B+Cを無視することもあり得ない。
言い換えると、第一段階は「手続の明示と予測可能性を備えた基準」により、「『場』(地域空間)の調整を通してマイナス面化の防止」を、第二段階の「創造システム」では、「『場』の基準(計画地固有の基準+計画地相対基準)の獲得」により「地域利益の創造を通してプラス面の確保」を求めることになる。
こうすれば、地域的な公共性が確保されるはずである。「創造システム」は、何より地域での発見手続を介して、「『場』の基準」(計画地固有基準+計画地相対基準)を顕在化させていくことである。



以上から、合理性を確保した全体像としての「協議調整システム」の制度的構造が見えてくる。
まずは「住民協議」であり、ここで、環境利益に関わるような法令保護の対象になりうる地域的公共性を協議する。もう一つが「専門的組織」であり、その役割には「『場』の基準の合理性についての審査」と「創造的な『場』の基準の提案」の二つがある。
これらが、その時々の問題(時点適合性)でなく、どんどん常時の問題把握状態(時間醸成型)に移行し、法律+条例+地域ルールによる多層化が進み、また、活動の主体が、行政+市民+多様な団体・組織に担われて多元化して、「公権力」による担保から、「公権力+民事拘束力」による「多効化」が進む事が期待されるのだ。






/pageview:223270(3/16:223719)