思い上がりを止めよ

【日記】    ●印、7月18日追記あり



思い上がりを止めよ。建築家なんて、この国ではほとんど、相手にされていないのだ。


今日の日経新聞、「新国立『もう引き返せぬ』に次のような記事が。
…(経過の説明から)「キールアーチを止めれば五輪には間に合う」とする建築家らの主張に対し、五輪組織委幹部は首を振る。「森会長の思いを知らないから言えること。ラグビーを飛ばして、五輪のための競技場を造るという選択肢はない」
やはりこんな経過があった。
どんなこと言ったって最近のこの国には、建前や、有力利権、自己保全が優先し、まじめに本質を見ようなどと言う空気は消えている。
行動で、おのが意思表示を出来ないインテリはもう、相当覚悟した方が良い。体制はどんどん、かって来た道を進んでいる。




●7月18日追記
昨日、安倍総理と森会長が話し合いを持ち、「新国立競技場問題 抜本見直し」となった。結果的によかったが、今後も踏まえ、いろいろのことが判ったし、問題も感じた。やはり首相まで行かないと決められなかったか。
それにしても、では今後のコンペはどうするのか?

客観性を保つために(?)、これまで書いてきたように家内でさえも情報を把握するようになった現実を踏まえて、久しぶりにこちらから意見を聞いた。その上での感想。


一番の驚きは、「誰も謝らなかった」ということ。
そういうことだな、と言わざるを得ない。
しかしよくまあ、今になって平然と、私が決めることではないから、とシラを切ることができるものだ。驚くべき無責任さと厚かましさだ。特に森と安藤。
安保法制で人気ガタ落ちを懸念する自民党議員ら身内からの突き上げもあってだろう、「白紙に戻す」と安倍総理。ここまで勝手をしていながら「自分も元々嫌だった」と言い出す森会長。委員会は逃げて廻りながら、「(2520億と聞いて)僕もえー?と驚いた」と言い、デザイン・コンペなので先まで見えない、と安藤審査委員長。何も判っていなくて決められない無責任な下村文科相。これこそオポチュニズムの好例のような舛添都知事。自分への被害を避けるための「譲り合い」の無責任体制。結果的には戦争末期の大本営のようだ。

この件での反省材料から学ぶべきことは多い。