クラーナハを見る眼(その1)

深層にある美術



気にはしていたが、ずっと本業には関係ないと思っていた。
でも何か、これほどのまとまった展覧はもう無いと思うと気になって仕方がない。 せこい気持ちも手伝って、伸ばし伸ばしにしていたその展覧会に、これも恒例のように終了真近かの昨日駆け込んだ。 「クラーナハ―500年後の誘惑」である。

しかし、おのが本心は隠されていた。 音声ガイドを借り、最初から掲示された解説をじっくり読み、相当の時間を掛けて画面を見つめてきたからだ。 ビデオもしっかり見た。 ついでに見た、同じ上野公園でやっている「デトロイト美術館展」の閲覧時間とは大違い。 思い返せば、気持ちの上では会期中に必ず見るとは思っていた。 よい展覧会だった。

ただ、今ここでまとまった感想を述べるのは出来ない。 とても複雑な気持ちで、それを簡単に整理は出来ない。 もう一度、(その2)として述べたい。 
それは宗教改革の真っ盛りの1500年代、あの改革者のマルチン・ルターと親交があり、市長まで務めたという事業家である画家の視た、敢えてあからさまに言ってしまえば「女のエロス」の現代的意味であり、驚くことに実に多くの近・現代芸術家に影響を与えてきたからで、クラーナハの存在はただ事ではなくなったからだ。 取り急ぎ、我々が知り我々に関わる、はっきり影響を受けたか意識した芸術家や評論家、哲学者を挙げておきたい。

ヴィルヘルム・ヴォリンガー
ジャック・デリダ
パブロ・ピカソ
マルセル・デュシャン
アルベルト・ジャコメッティ
ヨーゼフ・ボイス
日本人では、
土方定一
村上知義
森村泰昌
(展覧会カタログより)

これを知っただけで、ただ事ではないと感じられたら、と思う。







・4646