造りたい家は

同日後追記あり ●以降   19日補記【 】部分。21日にも。


久しぶりにフェイス・ブックをまさぐっていたら、design boom というコラムが出てきて、いろいろな建築の紹介の中にアルゼンチンのNWS Architectsというグループの設計した平屋の別荘住宅が出てきた。別荘とは言え、週末や休暇の季節の利用場所であり、ゆくゆくはリタイヤ―後のついのすみかということだ。 広く、ゆったりした緩い斜面。 適当に在る緑。 いいなぁ。
これも久しぶりに見る、自分が造りたい家だった。 何とは無しに感極まってしまった。
コルドバとシエラ・チカス(Sierra Chicas)という山が近いらしいアルゼンチンのほぼ中央部とのこと。町の名はPueblo Estancia la Pazとあった。


CGで遊ぶだけ遊んだような造形の建築物にはもう見飽きているが、突然、あまりにも素直なミースのファンズ・ワース邸以来の、グリッドを組むだけで造ったような住宅、しかも徹底した視線の通過性と透明性、開放性、通風性、景観性、親和性が感じられると、建築に憧れた純粋な時代を想い出してしまったのだ。
建築は造形になるが、造形ではない…。
これは何だろう。
アルゼンチンに住んで居たら、このような設計の機会は可能だったのだろうか。
明らかに日本より空気は乾燥しているようだ。
過日、京都の俵屋旅館の紹介を見た後だからかもしれないが、日本を意識し始めてから (ということは在伊中から帰国して、ということだが)、軒先や雨抑え、下方目線、窓枠の限界、日本建築ゆえのプライバシー、木造のスパン(柱間の距離)、紙や木へのこだわり(アルゼンチン住宅にあるような石壁などを考えない)、敷地の限界(狭小、閉鎖性などへのこだわり)などばかりに気を取られるようになっていったことが想い出される。
このアルゼンチン住宅は日本では出来ない…というより、どうやってこのイメージを融合させるかが課題だろう。




● (あれば後述) として上記で一区切りとしたが、不思議なものだ。
半日して読んでみたら、どうも違う。
それはこれを書いた時点での 「感極まった」 ことを述べたからだが、こうして建築に憧れる少年がその後、行き詰る現実を忘れている物言いだった。
それはそれでいいんだけれど、そういう個人の思いをこの日本社会は救いはしないよ、という現実に振り戻ってみると、「感極まっていればいい」 わけではないと言うしかなくなる。
【不幸にも、というべきか、最初に自分の傾倒したものが全く日本の気候風土や都市限界に対応したものではなかったのだ。それはそれで認められれば、後からイメージの融合による日本的風土に合った空間形成の模索と実践の深耕もあったはずだ。もちろん、それを意識して追求してきたからだが、あまりにも法規、敷地条件、コスト、日程、施主希望調整が多く複雑すぎ、イメージを深く詰めることが出来ず、またその設計機会も限られていた。】
簡単に言うと、このような感性的な価値そのものに、この国は経済価値を見出してこなかったということだ。 つまりこういうことでカネは支払われない、建築もモノとしての商品価値としての観点から対価が支払われるということだ。
経済格差の拡大とは、このような立場から、どんどんカネに換算出来る者(組織でもあり、モノでもある)への評価価値が上がってしまい、「こういうことをやりたい」 程度の者はどんどんスポイルされてきているという現実を言っている。


実はこの思いは昨夜、このフェイス・ブックをまさぐっていた時に、アルゼンチン建築の話とは別に、何やら長ったらしいタイトルの記事にぶつかり、それに布野修司さんがこれも長いコメントを載せていて、それを読んでいて考え始めたことと繋がっていく。
建築学会のWEB版で、学芸出版の出した本か機関誌の内容に関わるコメントのようで、胸が膨らみ考え始めたのだ。


その方向は「地方で建築を仕事にする、日常に目を開き、耳を澄ます人たち」という本か機関誌特集らしいタイトルから読める内容への、エール・コメントとして書かれたらしい。 それを読んでいて感じたことが、上で述べた経済構造に振り切られた建築家職能という現実からの救済意見の提供だった、と判断したのだ。
少なからぬ若い建築家は、個人が活かせるかもしれず、自然とも近い地方に活路を見出している。 それはそれで期待したい。【というより、建築家職能が過剰人口になってきていることも併せて、ますます人と人との繋がり、理解、身近だからこそ判る適性への納得などがなければ、建築や環境の設計の仕事など転がり込んでくるわけがないということだろう。よく言われてきたように、よほどの血脈・人脈があるとか、金満家庭の出でも無ければ】
気になることは、それらを承知でも、中央でも(地方でも構わない)出来ることはあるのでは、ということであり、それを語り施策を考える方も大切だという建築家の活動はどうするか、ということだ。 自己宣伝めくが、今度の著書で語りたかったのはその解法のベースを提供することだった。


PS: フェイス・ブックの記事タイトルは
「コミュニティ・アーキテクト、アーキテクト・ビルダー、そしてそして地域建築家工房の行方?」
011号(2017春号)
多分、このタイトルをつけたのが布野修司さんと思われる。記載期日が本年1月13日となっている。






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