個人レベルでできることは何か

個人を軸にしたイノベーションハブ(以下IH)は起こせないのか。
IHとは、人が一同に集まって議論、試行し、未来の社会と生活のためのアイデアを出していく場のことだとしても、それほどの誤解はないだろう。




IOTについて語っている多くの人は大手企業人か大学教授だ。そこにはすでに「集まる場」への下地がある。
どこにも繋がらないような、あまりにも小さいNPO法人などでは誰も相手にしない。というより僅かの会員が思い思いに動き回っているだけだ。


過日の「デジタルサミット2017」(日経新聞社主催)で語っていたカール・ホフマン氏(*)は、シリコンバレーのあるカリフォルニア州よりも、一人当たりの設備投資額ではマサチューセッツ州のほうが大きく、全米一位だという。だが、何を集計して一人当たりの設備投資額としたのか、出資元の組織の規模分布などはわからない。
この後、革新的イノベーションが出ない日本の問題は「失敗に対する恐れかも知れない」とも言っていて、そのためにハブが必要だとのこと。
趣旨は分かるが、大学などは組織の運営上、意識しているだろうが、個人レベルではどうやってハブを作るのかわからない。日本人のメンタルを問題にするなら、大きい組織にあるだけの問題ではないだろう。
大きい組織に問題があるなら、小さい組織や個人にはまた違った複数の問題があるだろう。
簡単に言えば、個人を信用しなければ、出資も仕事の依頼も宛にできない。「失敗を恐れる」以前の問題だ。つまり日本人自身に個人への信頼がないことが、予感として「失敗を恐れる」ことにつながっているとも思う。全体責任としやすい合意の場(つまり既存組織)があることにより、人はいくらか安心してイノベーティブになるのだろう。そこには当然、明治から150年かけて組み上げた社会構造や教育問題が潜んでいる。
組織を持たない(あるいは所属しない)者は、小さくても稼ぐためにも、ノウハウにはカネを払わない日常体質を受けて特許を取ったりして大手企業に売り込むようなことになる。それではまどろっこっしいので手っ取り早くと、日常業務で稼いでいたりすれば、どんどんタイミングを遅らせてしまう。
どうしてもある程度の資金、経験と知識、頭脳、引き立ててくる人脈、情報、それに運が必要だ。これらが無くてIHができるのだろうか。


それでも何かある、とやっているのが、我々のNPO「日本デザイン協会」だ。
それなのにまず、同業者個人自身がほとんど諦めていてか協力しない。抽象的な理念(「AI時代を見据えた感性価値社会への誘導」)は感じていても、無償の資金の提供者もいなければ、引き立ててくれる人脈もない組織の無力を知っている以上、それでもまだやっている理事長がいれば、自分の名誉欲のためだろうとしか思わなくなるのだ。


(*)情報源は日経新聞6月19日特集記事「デジタルサミット2017」による。









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