「もはや過ぎ去ったよき時代」余話
この道の先達から、当ブログ記事への感想を頂いた。
当日追記あり:●印
前記(7月22日)の、「もはや過ぎ去ったよき時代」とのタイトルをつけた、宮脇檀の想い出を語る集会の当ブログコピーを、建築学会の情報設計小委員会(要確)の集りで何人かにお配りした。
その小委員会の主催者である湯本先生が、思いもかけず以下のような温かい感想をフェイスブックに載せて下さり、その旨の連絡まで頂いた。感謝に堪えない。
了解を頂いたので、本件に関わる部分を転載させて頂いた。
丹下健三に関わる記述は、今もってほとんど問題にされず、「建築家史」が宙に浮いていることを明らかにしている。
●また宮脇の東大の経験は、湯本先生の仰るように、都市への視野と、理念化・論理化への志向から客観的な視点への眼を広げたのは明らかだろう。これに関しては関係する記述がある。去る4月22日の当ブログ 「こういう建築家はもう出てこない?」 で渡辺武信さんのこと書いたが、それを参照頂ければと思う。
大倉様
月曜日は、有難うございました。
また戴いたブログのコピー、興味深く読ませて戴きました。
以下は、最近FBに書いたものです。
重ねて有難うございました。
今後とも、宜しくお願いします。
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JIAでの宮脇檀展の話。大倉さんのブログに大変共感しました。50年前、何処で最初に宮脇さんに会ったのか、それさえも記憶が朧ですが、彼の(嫌いで云ってる訳ではありませんよ、大好きです)知ったか振り、自慢好き、教え魔、仕事一途?、云う割には社会知らず、恰好付け等々、かっての格好良い建築家の一典型と、現代の建築家像の凋落振りが、錯綜し輻輳する感覚は、深く共感しました。
1993年だったか、丹下健三さんに単独インタビューさせて戴いた時に、その腰の低さと親切さと紳士振りに驚愕しましたが、この方は施主第一なのだ、とは直感しました。(いや、先生もそう言われましたが…) 其れがかっての建築家の矜持であり倫理であったとは思いますが、これでは丹下さん以下の人は施主の靴でも磨くしかない。丹下さんが設計者の道を開かずして、誰が…と思いましたが、やはり道は繋がりませんでした。よね?
宮脇展。後期の仕事は余り知らなかったし、そう云う人は多い。トークに参加出来なかったので、宮脇さんに関するトークだけでも、もう一度、東京でやって欲しいです。
そう、彼は全く藝大だけ(だった)と思っていて、大学院は東大、しかも高山研とは知らなかった。だからデザインサーベイとか、鳥の眼があるのか!と合点しました。
湯本長伯 神戸大学革新創造本部・客員教授
最高裁判所・知的財産専門委員
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