遺言
異端の解剖学者だったことが納得できる
ここで言う「遺言」は、養老孟司の近著のことである。
人間や動物を解剖するところから考えを組み立ててきた系譜が徐々に理解できる気がしてきた。
分野が違うので、含めて言う言葉の範囲に幾分ずれが感じられるが、それを越えると大筋、何が言いたいのか判ってきた。それは僕が言いたいことと至近の距離にあるように思える。
武蔵野美大の森山明子さん(教授)が、過日のトーク・イベントで語ってくれたことの中に、養老孟司の出版物について何冊か紹介していたが、読んでないものが多い。もちろん、ミリオンセラーだった「バカの壁」は知っている。
養老は自分のことを、学者としては落第だったと言っている(自分でそう思い込んでいる、ということのようだ)が、当今の、学者として認められるための社会構造そのものに異論を突きつけるところに遺言発言のエネルギーを感じているようだ。
どういうことかと言うと、「意識」への過剰な信頼が現代人を創っているということ。人間の「意識」の形成とそれへの帰依については、虫から、犬からチンパンジーまで出して比較し、論じている。
その視点からは、太古の昔から現代にまで及ぶ人間史が感じられ、財務官僚の辞任や安倍内閣の退陣問題など、どうでもよくなってしまう。
(この記事に関わる内容は、去る3月25日の当ブログ、「現代人特有の憂愁か」に繋がるところがあり、そちらに戻っても記述している)
/8816