ダン・ブラウンが教えてくれた国別認識格差

また驚いている。


気づかれていると思うが、ここしばらく、ここ(当ブログ)で取り上げていることは、ちょっと時間的スパンの掛かったことが多い。
時代の大きな転換期にあるということはあちこちで言ってきたが、そのことがすなわち、今日、昨日の出来事など相手にしていても、時代の流れが見えない、ということを意味しているだろう。
ダ・ヴィンチ・コード」を書いたダン・ブラウンが最近、来日していたらしい。そのインタービュ記事で、気になっていたことがある。


彼への取材は世界中からだろうが、
「米国では読者やメディアから現代美術と宗教への言及が多かったが、日本ではAIと倫理に質問が集中した」そうで、「関心が違うので驚きました。ロボットと絆を結ぶことは日本の方がピンとくるのでしょうね」と語っていたそうだ。


何のことでもないようだが、やはりそうか、と腑に落ちた。
自分の考えてきたことと、ピタりと一致した。彼がびっくりしたように、僕も改めて驚いた。
ここに国民の認識格差が歴然と現れている。日本人はこのことを知らなければならない。
アメリカで読者の関心が宗教とは当然だろうが、現代美術との関わりとは、凄いことではないか。
早まるが、だからこそ草間弥生もニューヨークで仕事をしてきたし、千住博もここにアトリエを構えているのだろう。抜け目なくやるには日本にいては駄目なのかもしれない。
一方、日本ではAIとの倫理に問題意識が集中しているというのにも、改めて驚く。過日も紹介した「AIの時代、デザインに何が可能か」というトーク・イベントを行った際の全体を仕切るものは、今、思い出せばやはり「倫理」だったような気がしてきたのだ。決してデザインを現代美術の問題などにするはずが無かったのだ。(イタリアにいたからこそ、言うのかもしれないが)「しまった。やはりここは日本だったのだ」という気持ちが隠せなくなってきた。


さすがにダン・ブラウン。気づくところが凄い。だからロボットとの絆への言及にもなる。
最新作「オリジン」は、未来学者(宗教象徴学者)のラングドンを窮地から救う、AIでありながら重要人物となるウィンストンの物語のようだ。宗教と科学の対立はシリーズを通じた彼のテーマ。「ダ・ヴィンチ・コード」の面白さを知ってしまったから、これも読まねばならないか。
(記事は朝日新聞6/6か、その一週間前:「AIと人間を信頼『飛躍の瞬間』」取材/中村真理子





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