8月が終わった!

ブログ再開。



8月20日過ぎのは、と書いておいたが、「だらけムード」が夏を占領してしまった。
気が付いてみると、ブログとは言え本気で、出来るだけ新しい自分の考えを述べようとすれば意外な時間が掛かっており、そのため家庭サービスの時間などが大幅にカットされていた。道理で、家内との関係もぎくしゃくするし、書いていることが「何の意味があるのか」について、自分でも自信を持っているわけではない。座っている分、体や腰の体調管理もいい加減になっている。

という言い訳は読者には関係ないが、遅れたお詫びと、今後のブログを出来るだけ要領のいいものにすべく努めたいのでよろしく願います。


この間にも、例えば内閣府の重鎮と対話をを弾ませる機会があったなど、人生にとって収益のある夏でもあった。



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ということで、しばし専門に入ります。
「夏休みに入る」と自称する前に書いていた、ブログ検索数の多さへの驚きに繋がる、(公益社団法人)日本建築家協会(JIA)の話です。
この協会の未来に課題を感じていたことについて、同支部役員会に返事を書いたことの内容公開を、自分の所属する港地域会代表以下の皆さんに公表したので、もうこの場でも公示していいだろうと判断し、以下に公開します。
専門的な委員会の理解状況などが前段にあって、会議資料を添付しているわけでもないので読みにくいと思うが、後段が提案内容になっています。
改めて読み直すと、かなり荒唐無稽な言い分だと思うが、かと言って、今、他に有効な戦略が思いつくわけではない。
言わないより、「こういう変人が居る」ということでも伝えた方がいいのでは、と思うしかない・・・。


なお、文中に出てくる「憲章」とは、当建築家協会の憲章のことで、その内容は簡単な文章で(意味は最高に難しい)、6月27日の当ブログ記事「知っておきたい現実」で紹介したので、関心ある方は再読をお勧めする。





「どうなるのか、建築家協会の未来」

(港地域会所属役員としての発言 :大倉冨美雄)




「憲章の後段設定」に向けて


始めての役員会参加のためか、進行内容について判らないことも多く、発言する余裕も有りませんでした。
同じように、「第1回委員長、地域サミット合同会議」の結果についての「アンケート」書類に答えようと思っても、どこにどう答えてよいか判らないような当方の問題意識だったのですが、幸いにも、「フレームに合わせなくてもよい」、また、「個人的な意見でもよい」という提案を頂いたので、地域会にも諮ることなく、勝手な思いを述べさせて頂くことにしました。
もっとも長い付き合いの地域会メンバーには、敢えて了解を得なくても、私の考えはそれとなく判っているとは自認していますが。

会議の進行からは、現在の関東甲信越支部の立場からして、ここまでやるだけでも大変だなという印象を得させて頂きました。
中野地域会の指摘にあったように、「協議事項」(資料2)での「公益」に代表される各用語の明確さに関わる気がかりが無いとは言えませんが、こういう言い方しか出来ない現状も考えられると思いました。
提示されている「公益」活動の活性化は、「自治体との連携」や「公共工事の発注者支援」という形で明確化され、より具体的には「マンションの不適切コンサルタント問題」への介入、更には「大井町駅南設計コンペ」などで行動方針を明らかにしていると言える、と思いました。
また五項の「支部の議論の場を整備する」については、議論と議決の流れを示す矢印の方向について、「発議がどこで起こるか、その都度違うのでは?」とのある方の問題意識の通り、この流れでいいのか、よく判りませんでした。
それでも、これ以上やるのはなかなか難しいかもしれない、ということは実感出来ました。


一方、以上の討議や「アンケート」の内容を知って、「関わるかもしれないある意識問題」について触れておきたいと思うのです。
6月26日総会時の中田準一氏発言(JIA憲章の末尾削除に反対)の経過について、自分のブログで取り上げたところ、3日で600人、5日で900人余りとなる検索者がいて驚いた、というような現実も起っています。検索者分析の仕方は知らないのですが、ここには何か、大きなわだかまりがあるのではないか、という感触が拭い去れません。
また、知人の息子さんが大学の建築科をトップで出ながら、「漫画家になる」と言い出して父親をがっかりさせている現実も 何かを物語っていると思わずにはいられませんでした。
どうやら若い人の傾向は、「客体化から主体化に向かっている」ような気がしてなりません。
客体化とは、この場合、出来上がった社会規範を遵守して、その中で協議調整を求めながら、刷新を試みていく姿勢と言えます。我々の多くは、経験上、この道に沿っていると思います。そして20年後には皆、居なくなるか、退役している訳です。
一方、主体化とは、自分が何をやりたいかを核に考え、人生をどう自分に合った楽しいものにしていくかを中心に行動していく態度を言うか。この場合、既存の日本の社会システムが、あまりに個人能力を超えていると感じる場合、それを打ち破るのでなく、出来るだけバリアのない方に向かおうという姿勢と取れます。

JIA の未来を考えた時、現状の組織がほとんど若者に理解されていなというより、見向きもされていないと感じられる問題への対応は、上の言い方を踏襲すれば、客体化しか対応できない現状ではほとんど若者に対して機能していない、と判断した方がいいのではないか、と思わずにはいられません。
この問題への対応は、現実の社会構造の急激な変化、特にAI化を確認すれば、もはや放ってはおけないと理解すべきだと思うのです。

では、JIAはどうすればいいというのでしょうか? 
例えば、思いつく一案は、JIA建築家憲章に戻って、その思いを実現するために必要な社会構造を想定し、洗い出し、逆らうことが難しい問題を摘出した上でそれを乗り越え、私的な建築家行動指針を再構築する。それを、メディアを通して発信していく、というようなことです。
逆らっても意味が無いなら、個人を基軸としてきたこれまでの建築家精神を十分意識して、本来の建築家能力の限界から考えて、どう対応するかを判断して指針を策定する。ここには、憲章の精神とは裏腹に、これまでのオールマイティを掲げる建築家像とは別の、本来建築家能力として必要ぎりぎりの掌握力内に限定する覚悟が必要になると思います。
いわば「消された憲章の後段設定」です。
そのことが、創造する者が享受すべき経済的利益の在り処を明確に示すと考えます。
ここには当然、建築基準法建築士法への再考察も含まれ、技術知識に対する感性価値の優位認定、言語で規定し一般化する問題への言及も含まれ、例えば「20年後の実現化策定案」として、「新しい夢の建築家像の実現」と言う形で広報していくという考えです。但し「憲章改正委員会」のような名称の組織にすると、既存体制のままと取られるので避けねばならないと思います。
こういうことをバカバカしいと思ったり、本部が認めないとしたら何も始まらないでしょう。極論すればJIAは「努力の末に、死を待つ」だけになりそうです。
そういう活動部門を現行の活動指針とは別に(あえて言えば無関係に)、支部内に公的に創って応援したらどうだろうか、と思うのです。
そうすれば実質会員は減っても、熱意のある若者が面白がって多様な発想を寄せてくれる(会員になる)可能性が増すと思います。実質の設計能力は先輩会員が判定し、育てる仕組みが必要でしょう。
夏の夜の夢のような話ですが、例えばこのような話でも検討願えればと思いました。

JIAへの危機感から、自分の思うことを述べさせて頂きました。よろしく願います。 (20180726)








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