「ターニング・ポイント…」その余波−3
以下に、開催記録の関係団体への配信報告書を転載。
内輪では「サマリー」としても、合意を得ている。
開催事業報告書
「Turning Pointに差しかかったデザイン・建築・環境について語り合おう」
登壇者:神田順、木村戦太郎、連(むらじ)健夫、山田晃三、大倉冨美雄:司会(各人の経歴はプリント資料による)
開催日時:平成27年11月9日(月)、18:00〜20:00(その後懇親会30分)
開催場所:東京都港区赤坂9‐7‐1、ミッドタウン・タワー5階、デザイン・ハブ内リエゾン・センター
主催:NPO日本デザイン協会(JDA)
:(公社)日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)
後援:(公社)日本建築家協会(JIA)
:(公社)日本インテリアデザイナー協会(JID)
協力:(公財)日本デザイン振興会(JDP)
:JIA関東甲信越支部デザイン部会
当日参加者:約35名(登壇者を含む)
「美は共有に」
長いタイトルが示すように一筋縄ではいかない現状のデザイン・建築設計業界に、出来るだけ全体的視野と光明を与えようとしてこの討論会は企画された。
最近と言っても、前回の東京オリンピックや大阪万博、名古屋での国際デザイン会議を越えてのことだが、一般デザイン界と建築界が一緒に討論するようなことはほとんどなくなった。時代は変わったのだ。
そのことは、現代社会、特に先進国として模範になるような事例が無くなっているこの国で、社会構造全体の視野から見れば、デザインであろうと建築であろうと同じような環境に堕ちこんで来ているのではないか、それを俯瞰できる視点があるとの想定にもなっていた。そこで、隣接する分野の壁を少しでも越えて、情報の共有や相互協力の可能性について検討する場としても、この企画の意味が考えられた。
バイタル感で論点の拡大へ
登壇者の職分と考えを際立たせる目的で、まず一人3枚、3分のスライドによる簡単な自己紹介をお願いしたが、経歴を越えるアピールで進み始めた。
2020年のオリンピック・パラリンピックのエンブレム問題、新国立競技場の設計コンペのごたごた問題、更には杭偽装の問題で、デザイナーなどの一段の信頼失墜が心配され、責任者不在、「目利き」が組織の中心から消えたとか、もし居ても説明しない、という話題に進み、ここから専門家とは何か、また関連して、コンピュータ時代に飛躍するアマチュア能力との関係が問題視された。改めて専門家のあるべき関わり方が問われ、後段には将棋の棋士の身構えの例(山田氏)など、具体的な事例で語られた。それはIOT(インターネットが生み出すモノ、コトの社会)からの視点にもなっている。
建築分野では法規制のからみから国(建築基準法など)との関わりが大きく、専門家間で言う「定量化された規制の定性化」という課題のため、それを社会論理化し立法化する運動の方向(神田氏)と、地域やサークルのコミュニケーションを通して美も行政も動かす、という実務上の解決策提案をする方向(連氏)の広がりとなって現れた。その一方でデザイン分野では、専門家としてのヴィジョンの言わば「主体化と客体化」が関心となり、ネット社会人の自然回帰すべき生活体験への称揚(主体化:木村氏)と、完全コンピュータ化社会において人間のやるべきことからデザインを考えると「美の在り方」の問題になる(客体化:山田氏)、という広がりとなってきた。
議論は下打ち合わせも行ってはいたが、登壇者5人の個性や経験、関心の核の差が議論が深まるほど際立ってきて魅力度が増し、バイタルな熱意を奪うのが惜しく、司会の能力と責任を越え始めた。
「何を言っているのか解らない」では困るが、無意識のうちに用語は専門化し、それをサイドから解説し、方向性を示すタイミングと時間の余裕はなかった。各位の努力も頂いたが、想定する社会政策や歴史的な視点を含めたトータルな討論よりは、より各人主張の場になったと言えよう。
美や質が軽視される国内事情の改革を
それにしても、「定量化と定性化」とは聞き慣れない言葉だと思われる。
ヨーロッパの美しい街並を知るようになって、日本のまちづくりが如何に醜いかが分り始めてからこの問題にたどり着いた、という面もある。
図式的に言うと、設計行為の評価に関わるすべてを、データと客観的な言葉で規定し一般化する(法制化する)事が「定量化」であり、言わばその逆の、計量出来ない美や質への配慮の扱いなどが「定性化」である。我が国の規制が個性や地域性を軽視してきた事が「定量化」だけの正当性を許したという視点からの反省が、この領域の討議の原動力になっている。これが直接に影響を与えるのが建築設計の行為であり、プロダクトデザインなどが受け入れる科学技術的な「定量化」は、マーケティングを含め製造企業などが負う場合が多く、「定性化」の方が浮き出て、あまり対比が問題にならない。このために論点がずれるのだ。
この「定性化」を指導出来るのが「専門家」であるとの関係になるが、ここにあるのは大まかに言って、建築の方では「ルールあっての話」という基本意識であり、一方、デザインの「主体化と客体化」は、情動体としての「人間あっての話」が基本になっていると見える。
この話の次元では、両者に取って人口減少や超高齢化社会による人心の変化、グローバル化とネット化による先の見えない資本主義が社会にもたらす不安、例えば格差社会化が引き起こすと考えられている貧困、あるいは気候変動の影響のような次元からデザイン・建築・環境を語ることにはなっていない。
「社会ニーズと経済効果としてのデザイン」を語らなければ今の社会に承知されず、それが受け入れられれば、今度は美の本質を語れると思っている者たち(美術家やその評論家)からは軽んじられる。両極の立場からの主張が既存社会の価値判定軸を握っている。つまり、デザイン誕生の時からの両義性(経済と芸術の統合)が、今に至っても民意の承認を得ていないということだろうか。美や文化を語ればそこから政治やメディアが重要な課題としても取り上げるような国にはなっていないのだ。そこに「定性化」に重きを置こうとする専門家への軽視がある。
連氏がまとめの提案としたのは、「美はいろいろある」ということで、そこには近代が奨めた概念の一つとしての「統合された美の基準を求める精神」への反旗がある。それだけでは現代では当然だが、それを話し合いを通して、ある美の自覚と合意点に至らせよう―ファシリテイト―との意を含む、と。次に、その実現化を我々専門家が行動において「諦めてはいけない」ということだ、とした。
こういう流れで氣づくのは、心理的な感性価値を尊ぶ「人間あっての話」の側にも、合理性を求める精神(客体化)と、より情動性や直感を大切にする感情(主体化)とがありそうで、そこでの価値調整が必要という事だ。作曲家の交響曲と映画音楽の選択の差のように、とでも言おうか。この立ち位置を知って飲み込まなければ、デザインとしての議論は振れ続けだろう。そうでなければデザインの、時代を超えた新しい人材を生み出す歴史的な仮説性―例えば的確な例かは分らないが、第一次産業革命を経たバウハウス運動のような―に踏み込む事が難しいのではないか。この大きな仮説性の次元で美の社会化(共有)について話を進めたいものだ。それは合意性のもたらす社会力と直感や個性がもたらす表現力との切磋琢磨になるだろう。
変革期にある現状の俯瞰
議論の深まりは時間の不足を感じさせた。神田氏は、イタリアの現代哲学者たちの思弁から比較しての日本人について語りたかっただろうし、もっとメディアも取り込んだ政策論争から「建築基本法の必然性」についても述べる場が欲しかったに違いない。連氏の話は、建築設計実務の窮地に追い込まれた経験のない当日参加のグラフィック・デザイナーとか一般の方には、予備説明なしでその必然性がどの程度呑み込めたのかが気になる。また建築家が、合議の上で最後に「ではこうさせて下さい」と持っていった表現行為も美に繋がるはずだが、そのような収束が常に「人間あっての話」側のデザイナーの抱く満足や変革力にもなるのかも問われるだろう。また木村氏のインドの体験談は、現在の日本人の問題にどう繋げるのかと思われたようだし、山田氏の「これからの美への思い」には方法論的にもっと探りを入れたかった。木村氏と山田氏には「ルールあっての話」側の視点では、日本の、ある意味で偏向した国情から考えて、どう具体的に説得力を発揮するのかが問われそうだ。
そういう意味でこの討論会はある種の参加者には、未整理に終わったように受け取られた可能性もあるが、結果的に、デザイン・建築が抱える多重で拡散する問題をそれぞれの登壇者が代弁したことにより、現在のこの種のまとまりにくい業界での直近課題を、並列ながら総観する場にはなったと言えると思う。
では何が「Turning Point」なのかについてはまとめとして、コンピュータ時代に到達した現在の資本主義経済社会が大きな壁に向かいつつあり、マネー最優先のグローバル化による金融資本型の社会構造を変えていかなければ人類の未来が危ない、との予感から我々の対応が求められている、それが「Turning Point」であるとするに留まった。
2,3人の有意義な会場からの質問や意見を経ての懇親会の後、登壇者だけの「反省会」に流れ、そこでも議論が続いたことは、以上のようにまだ整理されていない問題が多く、この日の討論はその入口に立っただけだとの認識を深めることになった。このような登壇者の組み合わせは意図的にせよ、かなり大胆なものであるが、それだけに貴重な企画であり、出来れば年一度、この場の議論から深めていきたいとの合意で締めくくった。(文責:大倉20151202)
(本報告のベースとなる発言記録と、そこからの解読による再編集版は、しばらく後にNPO日本デザイン協会のホームページに掲載されますので、ご参照下さい)
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