「建築家」という職業は、夢の中にあるのだろうか
(注:7/10現在、多少の補正、追記などあり)
「もう一度だけ、言わせて」と、言いたいけれど・・・
前のブログ記事を読んで頂いた方は、推定3日で600人ほど。5日目ともなれば、リピーターも多いだろうが900人ほどになった。
これだけ読者が居てくれるのも有難いが、専門的な話なのでやはり同業者が多いのかも、と推察した。それでも出来るだけ一般の人にも判り、関心が持てるような説明を心掛けたいと願って書いた。
こんなに読んでくれる人がいる事に大きく感謝するとともに、こうなると、この際もう一度だけ、その背景について自分の想いを記述して置きたくなった。
それだけに、前のブログの印象がないと、この記事も面白くなくなってしまいそう。前の記事を読んでいない方は、まず、そちらから始めていただければと願う。
甘えかもしれないが、たとえ偏った見方としても、これまでの経験と知識からの内からの実感を、この辺で吐露しておいてもいいように思えてきたのだ。
で、胡散臭い話ですが、もう一度だけ(笑: 今の想いとしては)、聞いていただけたら、と思いました。
ちょっと長くなり、下手な言葉でしか説明できないのが苦しいけれど、よろしく願います。
JIA建築家憲章(以下「憲章」)を読み直していただくと(前の日の本ブログ)、なぜこんな理想が活きないのか、その背景は何なのか、ということが気になった人もいるだろう。
また、逆に「若者が逃げていく」、とも書いたが、どういうことか、と思った人もいたかもしれない。
なぜ、逃げていくのか、その辺を、もう少し説明したかった。
それには、中段に書いた、
訴訟の一般化、
会員と団体の乖離、
建築家の社会(認識)変化
(これに日本人の体質も関わる。又は、 日本人の体質まで踏み込んで考えられない、を加えたい)。
から読み起したい、と思った。
結果的に、この4つに帰着する問題が多いと判断し、後段に仕組んだ、「背景としての『建築家社会』の9つの課題」の、それぞれの記述の最後に、どれに当たるかを添付してみた。
個人的なまとめだし、思い付きの書きなぐりだから異論もあるだろう。しかも、「じゃあ、どうしたらいいんだ?」という答えも出していない。というより、現代日本社会の構造的な問題なので、解決策が簡単に出ないと言いたいのだけれど。
息子がつぶやいたように、「何か評論家的・・・(言うだけで何も行動しない)」と言われても仕方が無いが。建築家協会機関紙には何度か問題提起をしてきたけれど。
それでも現状改革について、私的にはヴィジョンが無いわけではない。
(ここからしばらくは、ここで述べる必要はないのかもしれず、また深く突き詰めたわけでもないので、取合えずスルーして頂いても構わない)。
個人としての設計者の能力を評価し、法規、資格、評価法などを変え、オール・マイティ型の能力要求から分離すべきだと思っている。その際に、論理整合性(定量)評価より、感性価値(定性)評価を優先させるべきである、と。考え方の根底は「設計の本質は法規や資格の問題ではない」ということがある(資格試験レベルの知識と経験は必要である。また構造や設備も感性の問題であるとする)。
評価主体はそれこそ、これまで見てきた「憲章」を創ったような建築家の集団が主体となり(裁定委員会)、この分野では国は譲るべきだろう、と。良いことと言うべきか、構造と設備は一級建築士の中で分離されたので、これをもっと進めなければならない。
その上で、そもそも設計事務所を株式会社、有限会社にしたことに問題があるのだが、とりあえず、業務対コストの管理を、例えば企画提案、基本設計、実施設計の3段階程度に分け(ここまでは多くの事務所が当然やっているだろうが)、特に企画提案に力点を置き、それぞれの業務に上記の「定性」評価に従った公的な設計料割合と提示義務内容を設定する(公取違反にならないように。とは言っても国が決めれば違反も問われないはず)。そこに業務中止や損害補償のための公的な保険金割合を十分加算しておく、というように。企画提案は「仕事を貰える(ことを想定出来る)なら無料です」などということは許さない。また提案がアイデアを盗まれたと思えば、竣工後でも上記裁定委員会に提訴出来、委員会は法的決定力を持つ、と。企画段階だけでも食べていけるようにしなければならない。こちらはこういうことの提案が専門ではないが、会計・経理・法務専門家を集めて具体策が出来るはずだ。その際にすぐ「現実的でない」と考える頭の固い者を入れてはならない。
要するにこの問題は当面、基底が国家事業扱いだが、既存体制温存の志向性を持つため、1個人などでどうすることも出来ないように思える。国として法(原案)を創っている人たちがどんな経歴を持っているか、そこにどんな教育や環境の歴史経過があるかによって、大きく変わってきてしまう。今の時代を見ていると、議員立法などはとても無理だろう。出された立案を承認するだけだ。日本社会の未来を深く、広く見つめる専門家、かつ矛盾するようだがジェネラリストたちのインテリジェンスを結集するしかない。時代は根本的に変わってきているのだ。
「建築基本法制定準備会」(神田順会長)など、衆参議員を巻き込んで動いている所はあるので応援はしているけれど。(吉田松陰ほどの覚悟と知覚があれば別だろうが、時代や対象が大きく違っているだろう:苦笑)。
但し、建築家団体(この場合、日本建築家協会のような組織)は、トップを二元化でもしないと現状改革は無理ではないか、という気がしている。
関係団体と協力し統合を目指し、国交省との調整を進めるヒューマンで事務的な立場(調整役)と、すでに述べたアグレッシブな立場で、10年、20年、100年先の「建築家」像を捉え、日本の未来のために抜本的な視点で活動していくビジョナリストの立場だ(以下の「背景としての『建築家社会』の9つの課題」の6項で同じことを解説)。
その際、調整役はビジョナリストをサポートする、という条件付けが重要だ。
そこでまず、大枠の理解を求めるために、「背景としての『日本社会』」という視点からの現状分析から行かないと全体が見えないように思う。ここに戻って議論しないと、解決が表層的になりそう。ここを抑えれば、次の「背景としての「建築家社会」の9つの課題」が、すっと呑み込めるのでは(笑)、と期待する。
我々の多くは、時間も経済的余裕も無く、専門分野の解決だけで精いっぱいで、この分野への認識が広まっていないと判断しているので。但し必ずしも、うまく整理出来ているとも言えないが。
背景としての「日本社会」の3つの壁
1・ 日本人の一般的体質
・自己存在確認を第一義にできない。それが国家主権を育て、強い者(組織、官僚機構など)には巻かれる体質を温存してきた。「皆で一緒に」(農耕民族からの流れ)の考え方を利用されてきたと言える。
(補足:明治政府は輸入知識を活かしつつ殖産興業に励んだので、建築は明治150年の前半は、技術の輸入定着、耐震対策の強化などに力点があるため、工学部系教育と認知し、後半は建設業者育成の観点から建築の産業化に努めてきて、自ずとスクラップ&ビルドを推奨する立場になっただろう。そこには結果的に、適正能力の個人や環境を育てるという視点は無かった。自助努力で済むと考えたのだろう。事実、出発点はそれで済んだのだから)。
・こうなると上意下達の法規制万能の社会となる。現代に至っては、情報化と、育っていない社会ルールに乗った個人意識の高まりとともに訴訟が増える。
・輸入文化の消化と優遇による、知識優先文化、科学的合理性優先の国となる。地に足が着いていないのだ。
その結果、次のような価値認識構造が暗黙の裡に育っているのではないか。
上級社会認識ベース:科学的分析思考、数論理的思考、言語思考優先、体感経験は軽視。
中間社会認識ベース:感覚的思考(上述の、「皆で一緒に」、巻かれる感じ方)
最下層認識ベース:精神異常、発達障害か
・自分で感覚的に美などの価値を決められない(ブランド志向へ)情報操作力有利に。権威化(ブランド化)しないと、カネを払わない体質を生む。欧米価値の優遇が日本文化(考え方、感じ方のルール)を萎ませた。
・感性価値(特に視覚体感感覚に関わる創造性が行き詰った処での新しい[アーツ]の考え方)を評価しない、と言うより知らない。何のことかも判らない(教育の影響が大きい)。(この辺は近自著「クリエイティブ[アーツ]コア」に詳述)
2・ 結果としての社会の硬直化と人身の膠着
・上記1の結果、社会がここまで膠着して来ている。外圧が無いと、国としての大きな自己変革ができない。
・温存された体制で利権を得た者は、自分にへつらう者を見分け、取り立てる。
・へつらっても、のし上がる厚かましさがなければ、社会の表(評価とカネ)に辿り着けない。
・権力欲で動く人は平気で責任逃れが出来る(誰かの言)
3・ 情報の国際化と経済万能を通して、格差の拡大にもよる人身の疲弊
・経済万能になり、清貧は軽視される。カネと俗世間の著名度(会社名も含む)が無いと、人は離れていく。
・教育も、中高からの投資が大学にまで及び、ブランド力を決定づけ、不平等を広げる役に回った。
・人の情報は自分のものとして着用する。立法化されているか、経済システムに取り込まれていなければ情報にはカネを払わない、という体質が国際化への障壁にも。
以上を承知した上で、専門職業の置かれた位置を分析すると (同じようなことを言っているところもあるけれど) ・・・、
(面白い話ではないので、ここまででも疲れた人もいるだろう。 次も一段と専門化し辛い話なので、一休みを。「憲章」とはあまりも違う、「建築家の追い詰められた現実の話」だと理解して頂けるなら、ここまででも)。
背景としての「建築家社会」の9つの課題
1・ 「巨匠時時代」(前川國男、丹下健三辺りを頂点とした建築家像が活きていた時代の俗称)に植え付けられたメンタルがあまりに理想的で捨てられない世代が残る。その割には、この理想(「憲章」に昇華)を経済システムに乗せる手立ての構築は放棄してきた、と言うより、手に負えなかった。 (日本人の体質も関わる)。 (会員と団体の乖離)。 (建築家の社会認識変化)
2・ 発注者の情報と知識レベルが上り、例えば「擬似コンペ」(ネット情報などから複数の設計事務所に声を掛け、見積と売り込み理由を聞き、最悪の場合、その情報を第3者の事務所や工事業者に回す)まで行うようになった。コスト管理、日程管理、情報管理(危機予知・最新情報)に長けていないと負けてしまう。またクレーム主張が当然化され、建築を商品として、不満点を見つけ、コスト・ダウンを狙う場合も増加。 (日本人の体質も関わる)。 (訴訟の一般化)
3・ 姉歯事件(*)以来、法規制が強化され、違反者かどうかを問われる度合いが増している(法規チェックで、8点ほど違反が設計者の名誉障壁になる点を指摘できる)。設計者が犯罪者にされる可能性が高まる。役所はチェックが多くなるほど仕事をしている気になる。発注者にとっては、苦情の指摘としての問題点を探しやすくなる。 (訴訟の一般化)。 (日本人の体質も関わる)。(*補記:個人名を出したくないが、事情を理解している同業者多数とみて、敢えて使用)
4・ 法規があまりにも細分化、専門化し、法解読の好きな者(メンタルとしては法律事務所向きの人材)でも雇っているか、体験済みの決まったパターンの構造物しか設計しないのでもなければ、読み込みが難しい事態になる。また「建築基準法」は古い規範に上塗りし、数値基準、地域無視をベースにする(だけ)のため(美や快適性、地域特性といった「定性的」な評価基準を含まない)、時代にそぐわなくなっている。 (日本人の体質も関わる)。 (建築家の社会認識変化)
5・ 設計行為が、多面的かつ社会性が大きく関わるため、合法的か、コスト・時間競争に対抗できるか、サービス・保障レベル(資本金)が優位か、情報対応のスピードなどで、個人事務所では対応し切れず、組織事業者以上向きに。ハウス・メーカー、大手設計事務所、中規模以上の工務店向きになっている。ということは大手に就職しないと学び、体験する機会がなくなることも意味する。もっとも中規模ともなれば、安定収入最優先となり、設計はパターンでよく営業が主役となりやすい。 (建築家の社会認識変化)
6・ 建築家協会は、その理念の高邁さと作家メンタルが簡単には変えられなかった故に、社会変化の落差についてい けず、結局、その運営(会長、理事)は、個人事務所の惨状は知らなくても、あるいは軽視しても、大きな社会変化が認知出来、ネット・ワーク化に強く、関連業界、官庁・ゼネコン事情などにも通ずる大手設計事務所関係者などが受け持つようになった。従って、現状調整はするが、理念(「憲章」)と現実の落差を埋める意識と方法を思いつかない。 (日本人の体質まで踏み込んで考えられない)。 (会員と団体の乖離)
7・ 「憲章」に見るように建築が文化に深く関わる一方、歴史的教育経過としての工学部系が示すように、数値データ優先、安全構造優先、法規制優先について理解が深い論理的な建築士も多く生み出してきた。「建築家(士)社会」はこのようにして価値分解が生じており、業界的な統一が難しい。教育の影響が大きい。 (日本人の体質まで踏み込んで考えられない)。 (建築家の社会認識変化)
8・ 産業構造の変化、コンピュータ技術の大発展(CADから始まり、「設計企画情報データベースに連動した設計監理モデル技術(米建築家協会:BIMという)」の発展など)による、デジタル情報と技術の大発展は、設計者の職能概念を変えている。 (建築家の社会認識変化)
9・ 大学教授、メディア関係記者など未来情報価値の形成者には、「巨匠時代」の流れのままでしか建築家を評価できなかったり、設計と現場経験が無いために設計の神髄を知らなかったりする者が少なくない。ということより、安定収入の途として教職やサラリーマンを選んでいる面も強いので、一番の問題は自分が「感性知を経済評価に置き換える」ことを考える必要が無くなっていることである。 結局、資本主義経済構造の行方を深く理解した上で、新しいAI時代の建築家を育て擁護し、救済する立場の人間や組織が育っていない。 (日本人の体質まで踏み込んで考えられない)。
こう書いてみると、やはり空しい。僕自身が「まだこんなことを言っている」と言われたこともある。
この職業は、「AI時代」に真に求められているのではないのか。(**)
「やりたいことをやらせない社会構造」(と言っても、身勝手な芸術家の主張を言っているのではない)。
「若者が逃げていく」のが、お分かりだろうか。
補記:ここまで眺めてくると建築家(士)の側にも、追い詰められて儲けることを最優先に考える者が出てこない、と言うのは嘘だろう。専門職能の優位性を逆利用するのだ。
冷や水を浴びるような状況だと思う。やられたらやり返すしかない現実が、職能の通俗化を更に呼び込む。これを10項目目に入れるべきだったのかも。そこにあるのは「憲章」どころではない。
こうしてこの問題は、日本社会に潜む、知財の個人に関わる経済評価への認識の浅さという、見えにくい深淵を曝し出す。
(**)参考:主宰しているNPO法人日本デザイン協会では昨年「AIの時代、デザインに何が可能か」とのトーク・イベントを開催。ものづくり系経産官僚、サイン系デザイナー、美大教授、若手建築家を交えて考えを述べあって貰った。多面な視点から参考になる意見が盛られているので、時間のある方はフォローしてみてください。(www.japan-design.or.jp)(トップ>Japanese>活動>講演などへ入る)
本年5月29日当ブログ:「AI の未来を伐る!」でも紹介。
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