「落日の建築家」への書評


ネットが繋がったので懸案の想いを転記します。 書いたのは9月26日でした。




「落日の建築家」への個人的な書評



昨日のことだが、彼岸ということもあって、鎌倉に墓があるために、品川から久しぶりに横須賀線に乗った。


最近読んだ、この衝撃的なタイトルの本、「落日の建築家」にある、「都市の生成に責任を取るのが建築家」という言い分が気になり、脳裏にあることもあって、これも久しぶりにじっくり車窓からの街並みを観察した。そして感じた。
やはり日本は街づくりに失敗してきたのだ、と。ということはやはり建築家に責任があるのか、と。
その氣で改めて見ると、なるほど個々の建物が自らのこと(ハコモノ)しか考えていず、関連の、相間する都市空間的視野を持っていないことが明らかに判る。
このことを実感したとなると、この著者の言い分への共感が大きく増す。
実際、著者の新庄宗昭氏の発言の多くには共感を持った。「歴史としての都市」を意識するのが「建築家」、という高い視点から、近年に起った問題の事件を取り上げている。それが「建築家職能の終焉」というサブタイトルの通りに証明されているというわけだ。


特に第1章「姉歯事件―—建築家無用論の始まり」には他章を越えて、学ぶことも多かった。ここで判るのは、日本建築家協会の過去の歴史をよく知っている(入会はだいぶ遅い人だが)からこそ、言えることが多いということ。輸入職業としての建築家ではあったが、明治後期から第二次大戦後の一時期までは、官僚となった建築科の出身者も、かなり協力してこの職業の独立に尽力したらしい。 
この前の本ブログで触れた「建築確認申請」が「建築許可審査」になった、ということの背景もここで確認した。姉歯事件は明らかに、彼の言う「建築家」の没落の明確な転機であったと思う。


第2章「東日本大震災―—復興に建築家は無力だった」は、前半が状況報告のようなものが多く、少々冗漫か。自分の土地に戻らせない行政の決定も問題があるが、「当面、大津波は来ないから、元の場所に住み始めよう」というのも少々、乱暴な考え方だと思う。
それでも、もっとも読み込んで行くと、「復興の現場では、その土地の記憶や権利関係を参照せざるを得ません。…何らかの構造は引き継いでいます。…(家族構造や信仰心といった)構造は消し去れないので、それは踏まえる、計画をつくる時には活かしていくしかない」(饗庭伸)という発言への共鳴に見るように、「ハコモノ建築」に終始してきた戦後の建築系譜に異議を唱えている点と、ここに示された「都市」、すなわちまちづくりという概念からの想いには改めて共感した。「建築家はこの…与えられた課題、責務に一丸となって対応出来なかった」と言う。
最もだ、とも思うが、「もう今の建築家では無理だ、というしかないのでは?」、という貧者の想いにもなってしまう。


第3章は「『まことちゃんハウス』とポピュリズム」で、ノーブレスオブリージュのない市民活動とそれに迎合する建築家の未来を危惧している。
第4章は「国立協議場問題―—陽は沈んでしまったか」。
「建築家は…ザハ・ハディッドと安藤忠雄を擁護する側に回らなければならなかった。…内輪もめしている場合ではなかったのだ」。
この主旨は歴史的にも、最初の高邁な建築理念を活かすべきだったという観点に立っている。自分でも「勿体なかったな」という気持ちはどこかにあるからその主張は判る。「…3500億円かかるならそれもいい…世紀のプロジェクトですよ。浄財を求めてでも。…マスタープログラムは100年スパンですから…。最終的には真の政治家が居なかったのです。それをアドバイスすべき建築家も不在だったわけです」と著者は慨嘆する。
建築家が役立たずだったことは認めるが、後の「亀の子たわし」の提案のように落胆させるものもあったし、安藤の態度そのものに疑問を持ってきた(過去の本ブログで主張)から、簡単には「その通り」という氣にはなれない。
でも確かに、この時を持って、「建築家なんて、在っても無くてもいいような職業である」と、民間にも、政治家にも、メディアにも確認されたしまったのは明らかであった。日本建築家協会は、新庄氏が願ったような行動を取ることが出来なかった。


最後の第5章は「明日また陽が昇るために」。
「結局、建築家教育をしてこなかったのだ。…高踏的に教育してこなかったということだろう。…建築家は技術者ではない。それ以上のマイスターであるべきだったのだが…」
「都市を想い、建築を愛し、建築家を擁護し支援するであろう新しいパトロン層が構築されなかったのだ。その間に旧いパトロン層は世代交代で喪われていった。建築家無用論の根底に、この支持層の喪失がある」。これは僕の実感と同じだ。




ここで改めて最初に戻るが、建築家として著者の想いには「都市の歴史に生きた痕跡を刻む人」との高邁なものがある。清教徒のように純粋で美しいし、それのための方策についても言及していて、空論ではない。
「建築家」の設計した竣工建築にはエンブレムを設置せよ、ゼネコンの設計部の建築家も会員に入れよ、30億円の基金を設けよ、正会員資格を厳にせよ、国の免許制度と一線を画す策を考えよ、外に対してアピールせよなど、「仙台七策」なる提案もしている。事務レベル的には、どれもとっくにやっていていいことだったし、いくらかの動きはあった。
だが、ここでは資格制度が抱える本質的な問題についての言及は足りていない。また建築基準法建築士法の問題の言及は無い。どれも国レベルの問題である。ということは、この国が抱える本質的な国体の姿 (ここまで来た政治体制、社会法規、文化としての価値評価基準など) ともいうべき体質の問題に至る。それは明治維新にまで遡ることになろう。新庄氏の夢、すなわち僕の夢でもある、のを叶えるには、それだけのスパンと人智を考慮に入れなければならないだろう。
更に言うと、「都市に歴史を刻む」はもっともであるが、それだけの言及で済むのだろうか。どうすれば都市に歴史を刻めるのか、表現的にはどうもはっきりしない。理念としての信念に対して設計は、敢えて即物的に言えばモノの空間表現である。こちらへの言及が足りないのではないか。
自論になるが、一昨年に出版した「クリエイティブ[アーツ]コア」(合同出版)は多分、このことの補完説明にも役立つのではないか、という気がしている。


「こういうことでいいんだろう」と思うと共に、で、これだけ熱意を持って書いた結果、「では、この提案軸に沿って日本建築家協会が変わって行くのか?」と考えてみると、それはとても難しい、としか思えない。
75才位になるこの提案者、新庄宗昭氏が過去を振り返って、「あれだけ輝かしかった建築家職能を取り戻せ」という思いには深く共感するものの、時代的に「もう終ってしまったことです。国を相手にすること、市民を相手にすることは、この国の国民性からすると非常に難しいし、メディアも劣化している。また現状の下請化した建築家には、時間的にも経済的にも余裕も能力も無くなっている」という無情な感情を消し去ることが出来ない。
それでもなお、建築家にしては珍しいくらいに驍舌で、ある意味での説得力のある内容を書いてくれた人が現れたことは本当にうれしいことだ。久しぶりに5日掛けて熟読した。新庄氏の想いも踏まえた上で、自分の考えを述べねばならない、と思っている。(新潮社刊)





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