@デザインをどう教えるのか

デザインをどう教えるのか
今朝か昨夜、奉職していた大学の教員から、メールと添付の手紙を頂いた。
直接の理由は、僕の担当していた「デザイン概論」という講座科目を、新年度から学内教員で行なうという取り決めについての釈明のためだ。
話は展開し、「デザイン学部」が持つ問題、特にこの中に建築系学科がある場合の難しさについて語っておられたがもっともなことだ。返事はA4二枚ぎっしりとなってしまった。
僕は都市も建築もデザインのうちと考え区別していない(拙著「デザイン力/デザイン心」参照)が、現実にはつらいことが多い。それぞれの分野が専門分化した結果の今日であるから、それぞれの分野には深いノウハウもある。そこに沈潜して取り組んで行けば、その分野のエキスパートになれる。しかしそれでは結局、産業の歯車の一つにしかならないのでは、という思いが事業を拡散一方の世界に追い込んだ。
デザインが視覚を中心とした表現活動である以上、世界の森羅万象に関るのは当然なのだが、表現に技術が必要であり、それを取り巻く人とモノの環境が成立条件を規定している以上、それらを知らずにデザインを成立させられない。そうなると、何でもやれるとはならないのだ。
自分でさえ、このような混乱の中にいてもがいている。これをデザイン学生にどう伝えればいいのか。
特に建築は、土木技術の系から来たこともあって、建築士の資格認定がまったく工学部寄り。就職のための専門教育と捉えるのが周辺を一番安心させる状況にあって、「デザイン学部」での建築は、適性教員の確保から見ても、4年間で教えなければならないこと、実務が広範に渡っている事とかから考えても、相当の難題のはずだ。実はこの試練にトライして何らかの解決をさせてみる、公的なチャンスはあった。実験をさせてくれたらやってみたかった。しかし、はっきり言って、この問題の深い意味を理解する人たちが居なかったのだ。そして気がついたら、背中をたたくように「追い出された」。