岸恵子とパリ

岸恵子とパリ
昨年暮に行き、また多分3月中旬にはパリに行かねばならないだろう。
こんなにパリが縁深くなったのは「新日本様式」のおかげだ。
3月19日にパリ三越エトワールで、この協議会のヨーロッパお披露目を行なう。そのプロデュースに関っているからだ。
本来なら、パリのことは既に見飽きたとして、尋ねる理由が無いのだが、こうなると厭でもパリが更に近くなる。
で、改めて「パリって何?」ということだが、返事に窮する。
昨夜、岸恵子のフォト・エッセイ「私のパリ 私のフランス」(講談社)を、家内から「ハイ」と言って渡され、チラチラページをめくっていたのだが、岸恵子の笑顔ばかりが気になって映像がかすんでしまった。
パリの街、佇まい、建築、インテリアはどうも好きになれない。彼女がほれ込んで画面に溶け込んでいるほど、こちらは楽しいものではない。だから笑顔が浮いて見えるのかも知れない。
それに何を見ても、どうも胸が締め付けられる思いなのだ。
彼女自身も言っている。別れたイブ・シアンピと住んでいたアヴェニュー・オッシュ10番地の門の前での撮影では、「スタッフと共に(アヴェニュー・オッシュに)降りてはみたものの、辺りが急に蒼ざめて見える。晴れた日なのに、身体がツララのように凍えて来た。門に近づくこともなく、シャッターの音を聴いたあとは、一目散に、凱旋門を背にして、娘の通ったモンソー公園へと走った。」
ヨーロッパの孤独感がどんなものか説明が難しいが、市街地の石造りの建物の大きな門は物凄く隔壁感を増張する。これは一つの孤独の壁だ。
このようなものの存在はミラノでも変わりなく、建物伝いに歩けば往時が思いだされ、心が不安定になってくるのだ。
だから笑顔しか見せない岸恵子のカラー写真ばかり続くと、何か嘘っぽい気持ちになって来てしまう。
岸さん、面識は無いけれど、そんなにニコニコしないで


後年の関係記述紹介: 2013年4月2日 「岸恵子の『わりなき恋』」