*「ブルーノ・ムナーリ」って誰?

*「ブルーノ・ムナーリ」って誰?


Who is Bruno Munari?
Chi e' Buruno Munari?                                   


―しごとに関係ある人 出入りお断り― というタイトルの作品展



この人の名前を聞いて「あぁ」と思い出す人は、そうとう古い(笑)。 かつ、60年代のイタリアン・デザイン・トレンドをよく知っている人だろう。


昨夜、Shiodomeitaliaクリエイティブ・センター、La Triennale di Milano、イタリア文化会館が主催する「ブルーノ・ムナーリ展」のオープニング・レセプションがあった。
マルコ・ロマネッリ氏(途中から聞いたので案内状の記載名でよいとして判断)の話は、よくムナーリの姿を伝えていた。
通訳の方の説明と比較して聞いてしまったが、意訳したものを読み上げる風の通訳表現がくどすぎると感じた。
展示はムナーリの発想源を13の分野に分けて解説し、製品、作品などを同時に展示したものだ。
この後、ムナーリ協会というのがあって、その会長を務める岩崎清氏の話もあった。岩崎氏は多分、僕と同世代に近く、同じような視点を持っているようだ。


ムナーリの仕事は簡単明瞭、一見百解的である。その多くがグラフィック要素を持っていて、シンボル・イメージやアイデアの可変化、加減算されて「おや、なるほど」と感じるものになる。ペンチにトンカチはつかないか、紐があれば孔に通したい、ステンレス板は折り紙細工の思いでちょっと曲げれば、トレイや灰皿になる、といった具合だ。


ムナーリの日本人デザイナーへの関与や影響は、人間の感性の軽妙洒脱なところをすくって、それだけで人生の大目標としてしまう事への啓示であろう。
主に、domus(というイタリアの有名なデザイン・建築雑誌)を通して、僕らは何度もムナーリの仕事には対面してきた。つまり、それは徹頭徹尾、イタリア人らしい世界であり、日本人には「判りきっていること」としてプッと捨てられてしまうようなことだった。
言い換えれば、子どもの持つ感性や好奇心を、そのまま大人の社会システム、知識、技術のなかに投げ出したようなものだ。また、それを受入れるところがイタリア的なのだ。


ある意味ではあの時代、僕らは醒めていた。ムナーリのような世界は楽しい。でも今の日本が要求しているものはそういうものではない。大量生産の前提でデザインを考えていると、市場や、コストダウン技術、あるいは新機能の発見や改良、他社との差別化などから人材論、企業論などに至るまで、デザインを産業論の中で考えていたし、それがデザインの使命だと思っていた。


今になって見ると・・・初めて、新しい地平でムナーリに接する事が出来る。
これはこれでいいんだ。今、日本人に求められている感性が、むしろこのようなものなのだ、と素直に思えるようになったのだ。まったく本当に、何のこだわりも無しに。
だから、ロマネッリ氏の力説が、イタリア人って1960年代から何も変っていないということの強調のようにも聞こえた、これだけ社会変動があったというのに。それだけ凄いことだとも感じたのである。