マンジャロッティ

【論】    ●印以降 追記あり:6/18/19 ●●6/20のブログに続く



マンジャロッティとは、何だったのか



モダニズム最後の人と言われるイタリアの建築家。
確かにその言い方が正しいと思われる。

昨夜、イタリア文化会館で「マエストロと日本人スタッフとの協働の記録」という副題のついたトーク集会があった。本人は現在91才で日本にこれず、娘さんが参加した。
拙著(デザイン力/デザイン心:美術出版社)にも書いたことだが、僕自身が彼に憧れてイタリアに行ったわけだから、駆けつけないわけにはいかない。


でもサブ・タイトルに見るように、彼のスタジオ(日本で言う事務所、研究所、建築系でのアトリエなどに当たる)には日本人が溢れていて、こちらは主役にはなれない。日本人所員二番手の川上元美君を始め、事務所には歴代、かれこれ10人位の日本人建築家、デザイナーが出入りしてきた。そのメンバーが今回のトーク・ショーを企画したのだ。その元は、イタリアで上記副題の出版があったからだ。
横道にそれて一言付け加えると、ミラノについて、まず訪ね、そこで働きたかったのがマンジャロッティの事務所だった。ところがすでに、大学で一級下だった川上君がいると教えられ、訪問をあきらめたいきさつがあった。


自分にとっては「イタリア行き」という、取った行動の意味を極める意味で重要な「場」であるにしても、そこにわだかまる、そんなもどかしさは、渕上正幸さんの進行するトークの場でも出ていた。
それは同時通訳でなかったことと、この場では的役だったのだろうが、マンジャロッティ事務所に長年勤めてきた堀川絹江さん(僕の著書への協力をして貰った)の努力にも関わらず、専門の通訳業ではないことによりそうな、「意志の疎通、言おうとしていることの雰囲気」が、もう少し不足していたという点にありそうだ。なまじイタリア語が中途半端に判ることによって通訳内容を吟味しようとしたのがいけなかったのかも知れないが。
これで判るのは、こういう文化的なコミュニケーションにあっては、日本語とイタリア語の通訳は(もちろん他国でもそうだろうが)とても難しいということだ。背景に国情、国民性を控えているのだから、この辺のニュアンスを読み込んでその国で通用する最適語、最適例を通訳者が自分で選んで通訳しないと、何を言っているのか、何が言いたいのかが本当には飲み込めないままになる可能性が高い。

そういう意味では、語った人たちの意見はそれぞれいいことを言っていたが、あまり印象に残っていない。


この間、ずっと考えてきたのは「マンジャロッティとは、何だったのか」ということだった。
●そこで気がついたのは、情報化時代、金融資本主義時代、後進国の追い上げに入る前の、工業が熟成し近代技術の完成とともに行き詰まりものあったが、幸せな一時代があったということだ。
その時代、ある種のエアポケットのような時代に花開いたのが、アンジェロ・マンジャロッティの仕事だったのだろう、ということだ。


バランザーテの教会堂の写真を見て、そのプロダクトデザイン的な設計態度に狂喜した自分だったから、ミラノに行ってから数年のうちに見に行った。
その結果は悲しいものだった。
写真ではあれほど感動した「スモーク・ガラス」状の壁面が、何とスチレン・ボード状のプラスチックシートをガラスでサンドイッチしたアイデアであったために、熱で溶けてガラスの中に澱み、あるいは皺折れて透明部分がむき出しとなり、見る影もなかったのだ。
このことで、技術の裏付けが無くてもアイデアが優先され、結果としてはアイデア倒れに終わったとしても、技術をもてあそぶ時代の姿が象徴的に浮かび上がってくる。それが「モダニズム建築」時代の姿ではないかとも思う。


竣工は1957年だから日本では、建築史的に知られたところでは菊竹清訓のスカイハウス(58)、丹下健三香川県庁舎(58)、ル・コルビジュエの国立西洋美術館(59)といったところ。デザインでは通産省の関わるGマーク制度が発足(57)、東芝が世界で初めて電気炊飯器を売り出してスタンダードモデルとなり(55)、佐々木達三がスバル360をデザインした(58)時で、一般的な広い意味での機能主義デザインの全盛期だった。つまりそれが、「モダニズム」の到達点だったと言える。
それは日本が高度成長に向かって突っ走りだした時だった。そして64年の東京オリンピックに至る。
こういう時代にデザインを目指した(17才だった)わけだから、この方向で自分もやれると思ったのは無理ないことだったのかも知れない。

(後に続く)

●●20日記:長くなってきたところ、話を聞いた原研哉氏との出会いで感じた事を書くことで続けられそうなので、20日のブログに続けます。



例によって、本ブログのフラッシュ・バック関連記事例を先回り紹介:
2012/4/20「ミラノ・サローネ」のこと
イタリア事情としては講義の案内ですが、
2009/8/26 「イタリアと日本。何が見える?」