書いた日記の分析 Analizing written diary

この一年、何を書いてきたのか

Analizing written diary

●27日追記



年が明けてから気になっていたのが、自分のブログの内容。
この一年、思いつくままに書いてきたが、一体何を書いたのか。内容全体の関連はあるのか、ある見える分布はあるのか、重複が多いのではないか、といったようなことが気になっていた。


コンペ参加などでなかなか出来なかったが、過日やっと、ちょうど1年分、本年1月3日まで82件ほどの、その日の日記を通読して、多い類似内容に従って、区分類して見た。全く時事トピックだけのようなものや、単なるご案内のような記事は入れてない。
分類の仕方がまた主意的ではるが、その結果が以下の通り。


1・いわば「個業化社会に向けて」と言えるような、社会の枠組み、あるべき社会システム、個人の存在についての考え方、デザインの社会経済学、組織的日本人自身に関する問題意識や意見、展望など                                                      22件


2・映画、デザイン、アートなどの批評や考え   28件


3・都市、建築関連の談義             13件


4・国民性、肉体と感性、イタリアンなことなど   8件


どうも、全体には脈絡がないような内容だ。
それでも、自分ではかなり繋がっているとは思っているのだ。
1は、鳥瞰図的にシステムを意識している場合が多いが、その構成員である日本人自身の問題として、人間性を基本的に問題視している。2,3,4、も、鳥瞰に対して地面を這いつくばっている状態、つまり現実問題対応が大きく虫瞰図的ではあるが、結局、人間性を問題にしていると思っているからだ。


後から、この(本日の)欄で引続き分析して、今後のブログ内容についての指針を見つけたいと思う。


●多分、「デザインな生き方」というのがあるのだろう。その生き方の証明のために生きている、と言えるのだとも思う。
だが今、自分のいる位置がよく判っているわけではない。
この巨大なIT化社会の入口に立って、過去の経験だけを武器に未来に立ち向かおうとするのか。モノではないと言いつつ、モノにしがみつくこの現実は自己の未来を救済するのか。


こういう問題や視点の設定が定まらないことが、「デザインな生き方」の内容を決定出来ない理由かもしれない。
もう少し、もう少し考えよう、但し考えることだけを習慣化してはいけないと思う。