「Turning Pointに・・・」を終わって

【日記】 数日、内容の詰めについては空白が続く



転機と言えば、社会の転機であると共に、自分の転機でもあるのだろう。
昨日、パリで127人がイスラム過激派とみられる者たちに殺害されたことは、その世界同時広報性も合わせて大きな時代の動きを感じさせた。限られた人生をこんなことで殺されてしまう人たちもいる一方、生き延びてまだ何かをやろうとしている自分のような人間がいることに戸惑いを感じざるを得ないが、転機であるのは十分感じさせる。


自分のやっていることに明確な主張と整理が必要なことは、嫌と言うほど知っているつもりだが、過日の「Turning Pointに差しかかったデザイン・建築・環境を語り合おう」を経て、ちょっとがっくりしている。
それは、この後に参加者から頂いたメールやフェイスブックでのコメントでも出てくるはずだが(ここに紹介する予定)、5人が勝手なことを言ってまとまらなかったことを言うのではない。まとめようとすること自体が無謀であり、各自がそれぞれの生き方を必死に伝えようとしたわけだから、改めてそこにおける自分の立ち位置について、より強固な自己実践が求められていると感じさせられたことにある。
これは誰に頼まれているわけでもない。自分の生存の意味についての自分の責任の取り方の問題であり、ヨーロッパ的な話なら、己(おのれ)と神との契約であるなどと言い出すのかもしれない。
自分にはやりたいことがある。それは組み込んで見たが5人が集まって討議すれば出てくるようなものではない、そういうことが実感されたのだ。


それは僕が本質的には「言葉に生きようとする人間ではない」ことによっている。このことは何度も言ってきた。詩人、文学者や評論家ではないということだ。科学者のように客観的な心理を求めて生きているのでもない。そのことをますます実感させたのだ。だとしても、だからこそ言葉で理念を語ることを無視したり軽視したりすることを言おうとするものではない。伝達、交感的な言葉による客観情報化(法制化などに至る意味)もそれなりの重要性を認識している。でも、それで自分が納得するのではない、ということだ。そのことがこの討論会で司会を放棄したように見えた(神田先生の言)実態であろうと思う。