奥山清行氏の話 Mr. Okuyama, industrial designer,said

カンブリア宮殿」(12CH)で

He expressed how he managed his work into a new demand.
And he showd me how I am, and how I should do.



何か新しいことをやるわけでは無い。
重要なことは行動あるのみ、ということだ。
但し、その行動は、自分の経験出来た範囲の中で組立てなければならない。
ここが頭の使いどころで、頭がよいか悪いかの境目なのかもしれない。


今夜の奥山清行(名前再確認)氏の番組(「カンブリア宮殿」)を途中から見てそう思った。(その前はNHKスペシャル「サブプライムから原油へマネーの激流が…」)(後で確認)
そう思ったと言うのは、僕自身のことだけかもしれないが。つまり、あちこち経験して、失敗を繰返してきた人間だけが、言えるのかもしれない、ということだ。いい気なものかな。


奥山氏とは面識はない。理事長時代に一度、講師に呼ぼうかという話はあった。
村上龍が武蔵野美大出だから、同じ大学出という引きがあったのかも知れないが、彼の職業は工業デザイナーで、僕の本来業と同業だ。大学を出てから、アートセンタースクール(カリフォルニア)に行き、そこからGM(ジェネラル・モータース)のスタイリング部門に入った。その後、イタリアに渡ったあたりから似たところも出てくるが、スーパーカーのデザイナーという、わかりやすい「売り」があった。


別に嫉妬しているわけではない。むしろ、気持を晴らしてくれた。

彼のやろうとし、やっていることは彼がお初なのではない。
少なからぬ工業デザイナーは地域に散って、地域の産業の育成を願って、デザイン活動を進めている。

しかし、GMやイタリアのカロッツェリアでのマネジメントを含めた人間経験と、考えを分かり易く(産業人向けの)言葉に整理する能力、気付きの才能、デザイン・センス、それに、多分、「スーパーカーの売り」が加わって、急速にマスコミでの地歩を固め始めたことは、誰でも出来る事ではない。


彼の話を聞いていて、本当に空が明るくなってきた。
それが、最初に述べた事なのだ。


自分の話に戻して見れば、僕がしばらく放任していた仕事の分野、つまり、奥山氏が今回、山形で開発に関わってきたような分野を、自分も改めて切開けばいいのだ、ということだ。


自分の話になるが、僕の場合この10年以上に渡って、工業デザインについては自分の仕事より、社会認知や理念形成に夢中になってきた。団体の理事長職のような立場上、仕方がなかったと言いたいが、実際のところ実務的には、建築、インテリアに引かれていた、と言うよりそちらに残務があるように感じていたのだ。
恐ろしいことだが、こうなると、スタッフのほとんどは両方は出来ないので、結局内容は建築事務所風になったというわけだ。


ここで、奥山氏の仕事の展開ぶりは、有難い事に、僕にとっても、まったく彼のやっている通りにやれば良いのだということを、再確認させてくれたのだ。彼自信も正鵠をついた言い方で、自分の仕事は独占的なものではなく、自分だけしか出来ないものではない、というようなことも言ってくれた。



ちょっと余談だが、話の中で村上龍が、「もう『日本をどうするか』なんて、言っていても始まらない、という気がした」と、面白いことをほのめかしていたが、これは、奥山氏の仕事と言動に触発されたのだろう。
実際、彼のやっていることは、専門用語で言えば、ローテク(高度の技術を要しない手工業的技術レベル)分野なので、素人でも見え易い。
もっと探りをいれると、それはもしかすると、カネの流れまでブラック・ボックス化し、超高度技術化し、一人の人間では全容がわからないどころか、その一部しかタッチできない現在の産業構造に、みんな疲弊しきっていることの現れなのかも知れない。


さて、こうなると、「『日本をどうするか』なんて、言っていても始まらない」ということを承知していても、僕はやっぱり言っていこう、とするなら、僕の「残務」は4本柱になってしまった。
もっともこれは、これまでやってきた事の再確認とセグメント化ということでもあるのだが。
そして、ここだけは奥山氏と違うのだが、客観的な状況に身を置くのは、建築・デザイン分野でそうだというのは同感だが、内なる止むに止まれない視覚表現意欲も捨ててしまおうとも思わないのだ。次の「タブロー」がそれだ。


1)「日本をどうするか」と、言っていく
2)引続き、建築・インテリアもやる
3)自分を表現する「タブロー」(絵画作品とでも言おうか)を創る
4)奥山氏のように、地元(神奈川)中小企業の商品開発をやる


人生の残りが少ないのに欲張りだねえ、とは自分でも思う。これはやっぱり頭が悪い証拠かもしれない。
ひとつ、分かっている事は、こうして、「書いて満足することは、明日の行動に繋がらない」ということだ。