ブルー・クラッシュ Blue Crush, not by words.

海を愛するものにしか撮れない映像―それは言葉では追いつかない


Without loving the sea, you can't work these scenes.
And, the literal expression can't compete with actual scenic beauty by visual presentation.


ブルー・クラッシュを見る


何を言うにも映像でないと無理があるなぁ。
映像でないと見てくれない若者もどっと増えているようだし。
映像のインパクトにはかなわないし。
これは毎回承知の嘆き。


でも、文章なら書き始められ、何となく仕上がって行くが、映像となるとそうは行かない。これは技術が必要となるなら、技術を越えた上での単なる習慣の違いとなるのだろうか。


撮ってきた映像を取り込むだけならいいのかも知れない。でもそれでは単なる記録だろう。映像をいじっていて何かの創造結果を示すなんてことは出来ない。
具体的には、コンテでも握って画面をいじっている内に、創作に達するというアプローチが取っ付き易く、これが文章を書き始めれば、に相当するのだが、これでもフィニッシュの表現目的が見えていないと何をやっているのか分からないだろう。
それにしても、映像表現自体で何かを語らせるには知恵も努力も時間も要る。


もう一つ。スチール映像(静止画像)レベルでは政治、経済、文化、社会といった抽象的な問題はなかなか語れないのではないか。
言葉だからだこそ、言えることもあるはずだ。
という理屈で、毎回文章を書くことになる・・・


こう書いたのは一昨日、偶然見た「ブルー・クラッシュ」(19日、NHK衛星第2、21時)の画面にいたく感心したからだ。もちろん、海好きならではの話。
おなじみサーファー物語で、ストーリーは平凡でアルバイトのホテルメイドの夏の恋(ちょっと解説。ケイト・ボスワース主演。ジョン・ストックウェル監督。幼い頃から天才女サーファーと言われてきたものの、事故での恐怖心からスランプにあったが、彼の一言で世界一危険な大会へ出場を決意する)。
いろいろ縁のあったハワイが舞台ということもあるのだが、海のあらゆるシーン撮影映像がとても美しく、見とれてしまった。
うーん、これはカメラワークもサーファーの心意気がなければ、こうは撮れないね。家内はCGじゃないかと言ったが、そうではあるまい。ボードの前にカメラを固定してプロがサーフィンしたのだろうか。
パイプラインの中から、外から、波の流れによる以外、ブレも無く、シャープな水紋が迫る。
サーフィン自体、自分じゃとても出来ないが、少年時代に適当な波に飛び込んで潜り抜けるのが大好きだったことが思い出される。
基本的に海は大好きだ。
夕日に火照る、焼けた肌の熱気も大好きだ。
この映画はその心がきっちりと出ている。


これはどうしても映画を見るしかない。言葉で表現する空しさを感じざるを得ない。