今夜の映画 Feel again from ”Bridge of the Madison Country”

私を一人にして行かないで


Feel again from "Bridge of the Madison Country"




外は多分、抜けるような青空なのだ。なのに部屋内は暗く、見える木立はガラス越しに霞んで見える。
暑い夏の昼下がり、フランチェスカはそっと窓辺に寄って思いをひそめる。


フランチェスカを演じるのはメリル・ストリープ。そう、「マディソン郡の橋」の一シーン。今夜、NHK衛星1で、何となく、また見てしまった。


しかし印象は何年も前に見た時とはだいぶ違った。
そのテンポは今回は十分受け入れられたし、メリルにはいつもながら上手いなぁとの印象を持っているのが再確認できたし、ストーリー上では、イタリアはバーリの出身ということも、改めて知って妙な親近感を持ってしまった。自分の情欲に素直なフランチェスカのおかげで、何もない人生がバラ色になった。


この変化の無い中西部の田舎まち。こんなところで一生を捧げたイタリア娘がいたのだ。
どこにでも作ればありそうな屋根つきの小さな橋と、自宅の台所ぐらいしか主要なセッティング・シーンのない世界で、時間を追って流れる二人の対話だけが重要な意味を持つ。
この脚本はとてもよくできていることも改めて気がついた。
夕焼け、朝焼け。それに何となく感じる、鳥の声、犬の遠吠え、雷鳴など。
台所のラジオからゆっくり流れる50年代かの音楽。


育った息子と娘が現在の時点から母親の生きた姿を振り変える設定も、今回見て見ると煩雑な設定ではなかった。
子供達は母の日記を読み進めるに連れて、日々の自分の生きている姿に改めて感謝するようになって行く。


フランチェスカは、キンケイドについて行かなくて結局、良かったのだ。このために彼との4日間は、退屈な農村生活と実直だが面白くも無い夫婦生活に黄金の輝きを付け加えることになったのだ。
シーンの最後に出てきた、フランチェスカが橋に張りつけた、翌日の再会を希望する黄ばんだメモ。それが送られてきたキンケイドの遺品の中にあったのが、涙を誘う。


こちらも十分、年を取ってきたなぁ、と思わずにはいられない。