カタリ〜、カタリ〜

〜〜〜〜想い出しで歌ってみようか。 それからでないと、感覚的な実感が伴わない。ただしこの歌詞は原歌の翻訳(いわば直訳)であり、音符やイタリア語感に合わせているのではない。文字は目で追って、ハミングで行こう。
●印:「補記2」あり 04/24
追記: 「私」を「僕」に変更した。04/28
●●印: 3行追記。 05/02





カタリ〜、カタリ〜
なぜあなたは僕にこんなにひどい言葉を言わねばならないのか
なぜこんなことを言い、僕の心を苦しめるのだ? カタリ〜
忘れないでくれ、僕の心のすべてを捧げたのを、カタリ
忘れないでくれ!


カタリ〜、カタリ〜
あなたは僕の気が散るようなことを言うために来たのか
あなたは僕の苦しみなど考えてもみまい
考えてもくれず、気にもとめまい


本当に、本当につれないひとだ!
あなたは僕の命を奪ってしまった
全てが終わってしまった
もう僕のことなど見向きもしない!


(中略:教会に行き司祭に告白したら「(そんな女、)放っておけ」と言われた、との句が入る)


本当に、本当につれないひとだ!
あなたは僕の命を奪ってしまった
全てが終わってしまった
もう僕のことなど見向きもしない!



なぜ突然、こんなカンツォーネの詩句を?
春だから(笑)。 それもそうだが。
理屈ばかり言っているのに飽きたから。
それもそうだ。
亡くなった義母が歌曲が好きで、自分も歌っていたこともあり、遺品を整理して貰ってきた中にCDがたくさんあった。
夜中にそれを何となく仕分けしていたら、カンツォーネもいくらかあり、それとなく聴くことになった。


聴いてみたら懐かしさで涙が出そうになった。
あのイタリア。もう時間の中に消え去っているイタリア!
聴いているうちにイタリア語の歌詞が気になりだし、添えられている解説パンフの原語と日本訳を見ていた。するとイタリア語での感覚と日本語訳がかなり違うという印象になってきた。さあ、大変だ。
それで、敢えて自分で訳し直してみたのが上の句。これでも上手い訳とは言えず、直訳的であり「歌詞」とは言いにくい。
とは言っても、字引にも出てこないような方言か略語の組み合わせで、どうにも手の打ちようがない部分もある。
それにしても気になって、手持ちのカンツォーネ集CDを5つほど集めてきて、翻訳を比較してみたら(暇だな)、失礼ながら皆、かなり自分勝手な訳をつけていて、「こんなこと、言ってるかよ」とか、「こう言っていることが(雰囲気としてでも)出ていないじゃないか」というような訳が多い。
多分、イタリア語は判らない人が多いということと、訳しようもない言い回しをいいことに、「愛なんてこんなものだよ」との割り切った考えから、訳者の主観的な訳語にしているのだろう。それにしても、もう少し実感した本物の訳し方があろうというもの、というのが書いた理由。だから行によってはあるパンフと同じ訳の人も居る。文化の違いを言葉で伝える難しさを実感するとともに、ある種の腹立たしさも覚えた。


確かに自分と相手の呼称だけでも、「わたし」と「あなた」か、「僕」と「君」か、「俺」と「お前」かで全然雰囲気が変わってしまう。「つれない人」か「つれない奴」かもそうだ。 イタリア語は"io"と"tu"だけだ (明確に儀礼的には"Lei"があるが)。 しかも主語は動詞活用で誰の事か判ってしまうので省略も多い。 それだけでなく、「わたしの命」か「人生」か、「終わってしまった」か「過ぎ去ってしまった」か(tutte e' passato)。 「ひどい言葉」も原語通りだが、日本語の詩感には固い。「言う」は原語感から書いたが、日本人感覚では「言わなくたって」何が言いたいのか判っているという感覚だろう。すべてこんな調子。 だから歌う言葉としてのイタリア語でないと、感覚的な実感に近づくのは難しい。
なお「カタリ」は女の名前のようだが、在伊中にも聞いたことがないような名前だ。


最初に戻る。
原語で聴いていて泣けそうになったのは、忘れてしまったような、あの、あまりにも単純で開けっ広げな愛の世界を赤裸々に思い出させてくれたから。判っていても、日本人はこんなに露骨に表現はすまい。むしろ笑い出してしまうかもしれない。
●●後日、偶然古賀政男のメロディーが聞こえてきた。
「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」「悲しい酒」などを聴いてみると、歌詞も雰囲気も当然だがイタリア語感とは全く違う。
かの国では情念の暴発は不徳ではない。
イタリア語での実感だからこそ、大真面目に受け止められる。(補記2)
人間の赤裸々な心情の吐露もやっぱり言葉だった。




(補記)このブログに「カタリ」としてか、あるいは同じような内容で他のカンツオーネのこと(歌手オルネラ・ヴァノーニなど)を書いた日もあったように思い検索してみたが、見つからなかった。
●(補記2) 身も蓋もない話だが、この曲は伝統的に生まれた民謡ではない。1900年初頭に渡米イタリア人によって作られ、さる歌手に献呈されたもの。だからこそ、近代の男の勝手な恨み節とすることが出来たと言えるのかも。







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