設計のシステムを変えるために  To change the designing system.

何が、この国で残された仕事か。



What is the work remained in this country?


息子はNHKの何とかさんに請われて、車に、多分演奏会道具を積んで長野の方に出掛けた。
連休の中日、どこにも行かない。こういう日は本当にくつろぐ、気を使う二点を除けば。
この3日間は奥方へのサービス・デーになる。本当に、そう言う日になっているのかどうかは分からないが。
次に景気の極度の低迷で、事務所の先行きが心配。


そんなこととは無関係に昨日も今日も行楽日和。
昨日は、「大琳派展」に出掛けた。光悦、宗達光琳、抱一(酒井)、其一(鈴木)となる200年に及ぶ琳派の流れは承知している。また論ずる機会があるはずだ。


今日、地下鉄に乗っていて、ふと自分のやるべきことが全部見えたような気がした。


文化の真のリーダーを育てる
―自由建築家組織に見る構想―


このうちの「自由建築家組織」という言葉は直ぐ出てきた。いいか悪いかは分からない。が、この言葉に自分の使命が盛られているように感じたのは事実。
この言葉に隠されている言葉に、日本の、日本での、日本人における、というような条件、それに、建築家以外にインダストリアル・デザイナー、プロダクト・デザイナー、工業デザイナー、産業デザイナーをも含むとしたい(専門的論議は別にして職能の意味は近似)。
これは出版の構想で、読者は相変わらず、まず建築家、インダストリアル・デザイナーになるかも知れない。ともかくも身内の共感が無ければ何も興せない、という想いから。


思い返せば、過日のデザイン学会への論文提出内容も、建築家協会への意見も、このための伏線上にあるか。多分、ここに自分が適していて、自分に、これしかやれないことがある、という実感はある。もちろん、何度も言うように、言葉だけでなく「見える仕事」でも戦いたい。


関係して他の人の意見。塩野七生が、外国人の歴史家が見て、日本人をどう評価するかについて、「持てる力を活かせないでいるうちに衰えてしまった民族、と評するのではないだろうか」と言っている。(日本人へ・66、文藝春秋200811月号)
同感。ここにいたる問題意識が構想のうちにもある。


時事問題からもう一つ。今夜のNHKスペシャル「アメリカに日本を売りこめ」。明後日に迫った米大統領選挙を受けての特集。日本の置かれた位置は本当に難しい。ワシントンの在米大使館在勤とみた石井公使以下の苦悩は手に取るようによく分かる。僕らの仕事が直接、外交に結びつくことは皆無だろうが、こういう政治状況―要するに、世界の大きな潮目に当る時期―を承知で、職能の位置を見て行くことは意味のあることだと感じた次第。